「毒親的な行動」が
世代間連鎖する理由

 一方で「自分は悪くない」という免罪符を得ることになり、「こうなったのは親のせいだからしょうがない」と、自分の在り方を省みなくなるという意見も聞かれます。

 また、親の立場からすれば、子供のことを一生懸命考えての行動であり、その背景にはひと昔前の価値観や親の親(子供の祖父母)からのしつけの影響もありそうです。

 自己否定は世代間で連鎖するという事実は知られており、「毒親的な行動」は受け継がれるとも言われます。そうなると、子供のために良かれと思っている親を「毒親」と決めつけるのは酷ではないでしょうか。

 さらに、子供に対する支配の程度によっても、「毒親」の意味合いは変わってきます。「毒親」を超えて犯罪者と言うべき虐待もありますし、子供の被害意識が強いあまりに「毒親」と一方的にラベリングしているような場合もあるでしょう。

 このような多くの視点があるので、私は自己肯定感が低いことの苦しみは「毒親」によるものだと単純化することはできません。ただ、苦しみの多くは親との関係に端を発しているのは確かであり、当事者が自分の親を「毒親」だと思わざるをえない気持ちを否定もしません。

 私自身も、自己肯定感の低さに苦しんできました。両親から「おまえは詰めが甘い」「努力が足りない」と厳しい言葉を投げつけられ、私は自分に自信がもてませんでした。高校生の頃は周囲の評価ばかりを気にして、自分自身を見失っていました。

 一時期は両親の育て方に怒りが湧き、かなり反発していましたが、いまは文句を言う気持ちはなくなりました。終戦前後に生まれた両親にはやむを得ない事情があったと理解でき、育ててもらったことにも感謝しています。

 私個人の考えですが、親の心理的支配と闘っている最中には、ときに親を「毒親」とラベリングするような、劇薬と思える方法も必要な場合があります。

 闘いのあとで支配から離れられたら、親と真に対等な関係を築けます。そのときには「毒親」のような強い言葉は必要がなく、むしろ違和感をもつのではないでしょうか。

「あなたと親の関係など、私の悲惨な経験からすれば甘いものだ。だからそんなことが言えるんだ」と思う人もいるでしょう。親という存在に対する想いは人それぞれですが、私の体験からはそう感じます。