それが今では、高級デパートで英国フェアが催される際には必ずといっていいほど、それもスコーン、ショートブレッド、マーマレード、ウェッジウッドの紅茶(!)と並べて出品される「イギリスらしい」食べ物になっている。

 なんだかラーメンの物語を聞いているようだと思った人もいるかもしれない。中国からもたらされ、手っ取り早く腹を満たせるストリートフードとして主に都市の労働者や貧乏学生の間で普及したその麺料理も、いつのまにかJapanese Ramenとして世界中で愛されるようになっている。飯は世に連れ、世は飯に連れ、である。

フィッシュ&チップスから見渡す
イギリスの灰色の風景と背景とは

 今やすっかりイギリスの「国民食」の地位を確立したフィッシュ&チップス。アニメ『きかんしゃトーマス』では、ノースウェスタン鉄道重役のサー・トップハム・ハットが機関士たちと一緒にそれに舌鼓を打ち、ガイ・リッチー版『シャーロック・ホームズ』(2009年)のホームズ(ロバート・ダウニー・Jr.)は、サー・アーサー・コナン・ドイルの原作には一度も登場したことのないそれを「いつもの店」で買う。だが、この「国民食化」によって、フィッシュ&チップスの階級的意味が失われたのかと言えば、決してそんなことはない。

 そもそも食べ物の味というものは、素材の状態、調理人の技量、食事環境、食べる人間の体調や心情、そもそもの「好み」などによって、いくらでも変わりうる。それだけ複雑な条件が重なって判断されるものであるはずなのに、やれ「イギリス」料理は不味い、やれ「日本」料理は美味いなどと、国民や国家の名という余計な形容詞に引きずられて十把一絡げに味を云々するのは、文字通り蒙昧な態度と言えよう。

 米だって保存の仕方や炊き方を間違えれば不味い。ついでに言えば、「味」は食べ物の良し悪しが判断される際の基準の1つでしかない。価格や入手のしやすさ、調理や食事にかけられる時間、使用できる道具や設備、後片付けの簡単さなどを加味して、人は何を作り、何を食べるのかを選択する。

 味のみに集中できるのは、準備や後処理を他人にまかせ、上げ膳据え膳で食事を取ることができる(と考えている)者たちの特権なのだ。

大英帝国を支える労働者階級の
支持が爆発的なヒットに繋がった

 フィッシュ&チップスが売られ、食べられるようになった19世紀後半、いわゆるヴィクトリア朝時代は、イギリスが世界帝国として地球の3分の2を支配下に置いて偉そうにしていた頃である。