国内でその傲慢な世界征服を背後で支えていたのは、帝国の経営のために実直に働く官僚や大企業人や、高度な技術を備えた熟練工の家庭を守る貞淑な主婦たち、劣悪な環境で働かされ使い捨てにされる労働者たちだった。

 階級間格差が広がった時代でもあった。メイドや使用人がいる屋敷に住む階級は言うにおよばず、都市の中流以上で、家庭に留まり手間暇をかけて料理を用意する「専業主婦」がいる階級と、共働きでないと生きてはいけない階級との格差がどんどん大きくなっていった。持ち帰りできる出来合い料理は、そういう共働きの労働者家庭にとって大いに好まれた。フィッシュ&チップスはそこにドハマリしたわけだ。

 都市のそれほど余裕のないホワイトカラーの家庭でも事情はあまり変わらない。仕事帰りに家族の分を買って帰れば、あとは紅茶を淹れるだけで夕食になるのだから、重宝されないわけがない。

 おまけにアイルランド系のカトリック教徒が多かった労働者階級と、ローマ教会から離脱したとはいえ多分にカトリック的な慣習を残しているイギリス国教会(アングリカンチャーチ)教徒の間には、肉類が禁じられた金曜日に魚を食べる「フィッシュサパー」という習慣が残っていた。

 その習慣は、「土用のウナギ」と同じで、「金曜日は魚の日!」という現在のフィッシュ&チップス業界の広告戦略に受け継がれている。

労働者階級の“ごちそう”だった
フィッシュ&チップス

 それはともかく、持ち帰りのフィッシュ&チップスを囲む家族の食事がどういうものだったか、ある子ども向けの本にこんなシーンが描かれている。

 ブルームさんと、フィッシュ・アンド・チップスが家に帰りつくと、あたたかい歓迎が待っていました。いちばん上の女の子が戸をあけ、2番目がバッグを受け取り、男の子がお帰りといって階段をかけおりてきて、だんなさんはやかんを火にかけました。ネコでさえ、ブルームさんの足に体をすりつけました。
(ジャネット&アラン・アルバーグ『だれも欲しがらなかったテディべア』井辻朱美訳、講談社、1993年、25頁)

 物語の舞台は1930年代。ブルーム家では両親ともに働いていて、工場勤務の母親が仕事帰りによくフィッシュ&チップスを買ってくる。それは、家族に大歓迎される食べ物。みんな大好きフィッシュ&チップス。週に一度のごちそうなのだろうし、出来合いのお持ち帰りが醸し出す特別感もあるだろう。子どもたちは大はしゃぎである。