ローストビーフPhoto:PIXTA

牛肉の塊をオーブンで蒸し焼きにし、薄くスライスしてグレイビーソースをかけて食べる「ローストビーフ」はイギリスの伝統料理だ。しかし、イギリス人にとって「ローストビーフ」はただの料理ではなく、18世紀を通じて昇り調子であった大英帝国の富と権力の象徴として捉えているのだという。その理由をイギリスの歴史的背景から紐解く。※本稿は、コモナーズ・キッチン『舌の上の階級闘争「イギリス」を料理する』(リトル・モア)の一部を抜粋・編集したものです。

衛守は牛肉を持ち帰り放題?
「ジョン・ブルの国」イギリス

 なんと言っても、ジョン・ブルの国である。ブル(bull)は雄牛、とくに去勢されていない種牛、去勢された雄牛はオクス(ox)、カウ(cow)は乳牛だが結局潰されて肉になればビーフだ。

 それでもブルが突出してイギリスの、それも男性的なイギリス(人)のイメージとなるのは、なにもブルドッグを連れたウィンストン・チャーチルに始まるものではない。

 19世紀を通じて発刊されていたトーリー党(保守党)べったりの日曜新聞のタイトルは「ジョン・ブル」だったし、戦場に兵士を駆り立てる際に使われた多くのイメージは、ユニオンジャックをまとうジョン・ブルとして表された。

 ロンドン塔で大勢の観光客を迎える衛守は、彼らが昔々国王主催のパーティーのあとにお土産として好きなだけ牛肉を持ち帰ってよかったことから「ビーフィーター(beefeater)」と呼ばれるし、同名のジンも有名だ。

 牛肉とイギリス人やイギリスという国家にまつわるそんなあれこれをまとめたのが、歴史家ベン・ロジャースの『牛肉と自由―ジョン・ブル、ローストビーフとイギリス人という国民』である(Ben Rogers,Beef and Liberty: Roast Beef, John Bull and the English Nation, Chatto & Windus, 2003.)。

フランスへの反骨精神から
イギリスは牛肉「推し」の国に

 自由という言葉はfreedomとlibertyと、英語にすると2つの微妙に意味の違う言葉の翻訳であって、さて、この意味の違いがややこしいのだ。

 フリーダムは~への自由、リバティは~からの自由。大雑把にはこう教わる。前者は天賦の権、後者は抑圧からの解放。高校の倫理社会では、こう教わる。しかし、~へのだろうが~からのだろうが、「~」に当てはまる何らかの対象が必要なことに変わりはない。ロジャースはこの対象が、ドーヴァー海峡の反対側のフランスだというのだから、結構せこい話に聞こえてしまわないだろうか。