マグナ・カルタ(大憲章)から始まり、王を首チョンパしてまでヨーマン(独立自営農民)からジェントリー(郷紳、地方地主)へとのし上がった連中の権益を守り、はては都市新興ブルジョワジーの圧力によってオランダやドイツから新しい王を連れてきてまで国家を存続させてきた国民にしては、自由が普遍的な原理ではなく、18世紀に整えられつつあったフランス料理の洗練とそのフランスを支配し名誉革命以前の支配者だったスチュアート朝の残党(ジャコバイト)を支援するブルボン王朝やカトリック「から」の自由だというのだから。
ソースで素材の味を隠すのではなく素材そのものをシンプルに味わう自由。太陽王ルイ14世下の絶対王政による軍事的脅威からの自由。そこにかぶさるように見え隠れするヴァチカンの権威主義に支配されずに政治も商売も貿易もできる自由。
裏を返せば、それだけフランスの影響が大きかったということの反証例だろう。ロジャースによれば、18世紀の牛肉「推し」は、貴族たちがこぞってフランス風のファッション、音楽、そして料理法を取り入れようとしていたことへの反動だというのだ。
そして恐るべきことに、当初は反動から始まったとしても、これらの自由は次第に自由貿易(という名の植民地主義)と所有権(という名の富の独占)を主張して世界を支配していく大英帝国の将来へとつながっているとは考えられないだろうか。
イギリス人にとってローストビーフは
複雑なお国柄の合わせ鏡か
華美さや複雑さを省き、オーヴンで焼くだけのローストビーフ。日曜日の礼拝に行く前に肉をオーヴンに入れ、帰ってきたら焼けているからとか、家庭にオーヴンのない労働者階級や貧しい人々は町や村のパン屋に肉を預けて、礼拝の帰りに受け取って家族で食べたからとか、サンデーローストの起源に諸説はあっても、わたしたちコモナーズ・キッチン(編集部注/本稿の著者である、パン屋と農家と大学教授の3名からなるコレクティヴ。料理を作って、食べることでイギリス社会の階級について考察を重ねている)の目から見れば、結局肉の塊を口にする機会などよほど恵まれていないとそうはないという単純な事実を、少し文化的に色づけてもっともらしく言っているにすぎないようにも思える。