醤油需要の増大により
1911年に「千葉県営鉄道」が開業

 野田線の存在感は印象以上に大きい。開業は東武鉄道、京急電鉄を除く関東大手私鉄より早い1911年。路線長62.7キロは西武池袋線(池袋~吾野間57.8キロ)や京急本線(泉岳寺~浦賀間56.7キロ)を上回り、京成電鉄本線(京成上野~成田空港69.3キロ)に迫る規模だ。

 野田線という名称から分かるように路線の中心は千葉の野田だ。野田といえばキッコーマンに代表される醤油である。そう、野田線は醤油のために作られた路線なのである。

 野田で醤油づくりが始まったのは16世紀半ばとされる。物流のほとんどを舟運が担っていた江戸時代、野田は利根川と江戸川に面する拠点だった。北関東の穀倉地帯から大豆と小麦、行徳から江戸湾の塩を運び、潤沢な水と温暖な気候を活かして醤油を醸造する。それを水運で江戸市中に出荷できる野田が、醤油の一大供給地になるのは必然だったと言えるかもしれない。

 明治に入って醤油の需要が増大すると輸送機関の近代化が求められた。1900年に醤油工場と江戸川の船着き場を結ぶ道路上に、人力でトロッコを押す「野田人車鉄道」が開業。人力と侮るなかれ、ひとつのトロッコで醤油樽70樽(約2トン)を運んだという。

 しかし、水運では輸送が追い付かなくなり、野田の醤油組合は醤油を輸送する鉄道の建設を千葉県に要望した。醤油組合の資金協力を得て、1911年に野田町(現・野田市)~柏駅間を結ぶ「千葉県営鉄道」が開業。野田で積み込んだ醤油を柏で国有鉄道に引き渡し、常磐線で東京に輸送した。

 県営鉄道野田線は1921年、柏~船橋駅間の建設を計画していた北総鉄道(現在の北総線とは別)への払い下げが決まる。1923年12月に船橋線柏~船橋駅間が開業し、翌年8月から野田町~柏間も北総鉄道野田線として営業を開始した。

 大正末から昭和初期にかけて、野田町から粕壁(現・春日部)・大宮方面に延伸し、東北本線との接続を図ることになり、1928年に着工、同時に電化を進めた。営業範囲が「北総」から「武蔵」へ拡大したことで、1929年に総武鉄道に改称し、同年に野田町~清水公園間、粕壁~大宮間が開業。翌年に清水公園~粕壁間が開業し、船橋~柏~大宮間が全通した。