埼玉県の蓮田~岩槻を結んだ幻の鉄道「武州鉄道」の数奇な歴史とは?現在の東武野田線に今も残る武州鉄道の痕跡(筆者撮影)

今からちょうど100年前の1924年10月19日、埼玉県の蓮田と岩槻を結ぶ零細私鉄「武州鉄道」が開業した。そんな路線など聞いたことがないという人も多いだろう。それもそのはず、開業からわずか14年弱で廃止された幻の路線だからである。大きな可能性を秘めながらも時代に翻弄(ほんろう)された鉄道の数奇の歴史とは。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

14年かけて開業したが
わずか14年弱で廃止に

 武州鉄道は1910年11月5日、「中央軽便電気鉄道」として川口~宮ケ谷塔間の免許を取得したが、開業まで13年と349日の年月を要した。同時代の私鉄では京成電気軌道、現在の京成電鉄が1909年に特許を得て、1912年に開業しているように短期間で開業することも珍しくない中、異例の難産であった。

 1924年開業の国鉄東北本線蓮田駅~岩槻(現在の東武野田線岩槻駅とは異なる)から始まり、1928年に岩槻~武州大門(現在の東北自動車道浦和IC付近)、1936年に武州大門~神根(東北自動車道川口JCT付近)が延伸開業するも、営業不振により開業から13年と318日、免許から開業にわずかに及ばない短期間で廃止となった。

武州鉄道路線図「今昔マップ on the web」((C)谷謙二)を加工して作成武州鉄道路線図「今昔マップ on the web」((C)谷謙二)を加工して作成 拡大画像表示

 武州鉄道を生み出したのは鉄道整備から取り残された地域の熱意だった。埼玉の主要都市は、川越街道、中山道、日光街道に沿った城下町・宿場町から始まっており、鉄道も街道に沿って敷設されたが、岩槻を通る日光御成道には鉄道が開通しなかった。

 当初は国有鉄道の川口駅を起点に、春岡村宮ケ谷塔(現在のさいたま市見沼区宮ケ谷塔付近、筆者の自宅から直線距離で2キロだ!)に至る計画だったが、発起人の過半数、株式総数の割合でも3分の1が岩槻、川口からのものであったことから、地域の要望を受け入れて計画は修正されていった。