多大な功績を残した
鈴木修氏の逝去
昨年12月27日、ゴルフの打ち納めの帰りの車中で、同乗者から「オサムさんが亡くなったという速報が入りましたよ」と聞かされた。
「えー、まさか?」。鈴木修スズキ相談役の訃報を知らされた直後の筆者からは、思わずそんな言葉が漏れた。スズキから発表された訃報を確認する。「弊社相談役鈴木修が2024年12月25日に逝去いたしました」。
享年94歳、一般的にいえば「大往生」だが、修さんの口癖だった「オレの歳は“7掛け”だ」を思うと、まだまだ長生きすると信じていただけに残念至極の思いでいっぱいだ。
「鈴木修氏の追悼」は、年末から年始にかけてさまざまなメディアや関係者から数多く寄せられたが、鈴木修という「経営者」を最も長く取材し、かつその人間性にほれ込んでリスペクトしていたのは筆者だと自負する。それこそ、鈴木修氏がスズキ(当時の鈴木自動車工業)社長に就任する以前、東京支店駐在の常務・専務時代からの付き合いだ。数多くのインタビューをしたし、取材以外でもお付き合い願ってきた。
21年6月のスズキ株主総会にて鈴木修氏がスズキ会長を引いて相談役になる際には、その直前にスズキの浜松本社で、スズキ会長として最後となるインタビューのインタビュアーとなる栄誉にも浴した。
このインタビューでは、さすがの修さんも91歳と卒寿を超えており、「修節」と呼ばれた滑らかで頓知の利いたしゃべりは、全盛期と比べてゆっくりと口が重くなっていた。だが、しゃべり方は遅くなったものの、いつものように赤ペンを持ちながら対話をし、相変わらず数字に強く、記憶力も確かさを感じさせるものだった。
この時の、スズキ会長としての最後の取材のテーマは、スズキ経営者としての原点である初代アルトの誕生秘話を中心に、鈴木修流経営の本質に迫るものだった。