それまでの軽自動車の既成概念を払拭した新型車アルトは、「さわやかアルト」と胸を張った鈴木修社長の経営者としてのスタートを飾った。計画を大幅に上回る月販1万台超えの受注で、まさにスズキ存亡の危機を救う救世主となると同時に、日本の軽自動車が今日に至るまでの原点となった。
アルトは、鈴木修流経営の飛躍への原動力にもなった。82年、スズキはインドに進出した。これは、「どこかで一番になろう」という、鈴木修氏らしい発想で進められたものだが、インド政府との合弁で立ち上げた企業で生産したのは、アルトがベースとなった車だった。「インドも偶然といえば偶然で、日本でトップになれないなら(別の場所で一番になろう)と“勘ピューター”が働いた」。いまでは、インド市場はスズキを支える屋台骨だ。
また、アルトに代表される軽自動車だけでなく、小型車への注力も進んでいく。
81年の米ゼネラル・モーターズ(GM)との資本提携では、GMがリッターカー(排気量1Lクラスの小型車)を欲する一方、スズキが軽から小型車へと拡大を図る方針の中で、これに乗る形の提携となった。「当時GMが世界ビッグ1で、スズキとは規模が違い過ぎたが、GMはリッターカーを造りたかった。ウチもアルトの次はリッターカーと考えていたのでグッドタイミングだったんだ」。
さらに、91年のハンガリー進出により、スイフトで欧州での小型車戦略に磨きをかけた。
GMとの資本提携発表会見で、鈴木修氏は「GMはクジラ。スズキがメダカなら飲み込まれてしまうが、スズキなんてメダカより小さい蚊のような存在。クジラがパクッと口を開けてのみ込もうとしても蚊なら空を飛んで逃げられる」との名言を残している。これは今でも語り継がれる「修語録」の一つだが、本人は「あれは現場でのとっさのアドリブだった」と述懐していた。