「GMは、スズキにとって師匠」と鈴木修氏は言っていた。「GMにはいろいろと自由にやらせてもらった。工場運営などはスズキ流に任せてもらい、一方でGM流も勉強させてもらった」。世界一だったGMグループ入りをしても、GMの小型車分野でスズキの存在感を示しつつ、GM流経営も修得した。
リーマンショックによるGMの経営破綻によって2008年に提携は解消したが、友好関係は27年間にも及んだ。「(GMの)ジャック・スミスCEO(最高経営責任者)からリチャード・ワゴナーCEOまで、信頼関係が強かったが故だ」と言っていた。
「GMもインドもハンガリーも、提携や合弁は全て誠実にやるべきで、資本提携もハート・トゥ・ハートでやるべきだとしみじみ思う。GMもインドもハンガリーもみんな丸くつながっている」「GMとは資本提携解消してかなりたったが、私の引退に際してメアリー・バーラさん(GMの現CEO)がレターをくれましてね。感激した。インドのモディ首相とは大切な親友で『インドに住みませんか』とまで勧めてくれた」。提携における信頼関係の重要さを、鈴木修氏はそう強調していた。
カリスマの定評の裏で実は失敗も
婿養子としての反発心が原動力に
鈴木修という人物には、「カリスマ経営者」「スズキを世界的自動車メーカーへ発展させた“中興の祖”」といった評価が付いて回る。だが、筆者は最も長く取材し、かつ取材以外でもお付き合いさせていただいたと自負するジャーナリストとして、修さんの本質を少し別に捉えている。
「振り返ると、実は経営者としては “51勝49敗”。失敗もたくさんしているから成功もしたんだよ」。飛騨の農家の子ども(岐阜県下呂の出身)が戦後、東京で代用教員をしながら(教え子に山東昭子元参議院議長がいた)中央大学を卒業後、名古屋の銀行員になって鈴木家に婿入りしてスズキに途中入社した。2代目社長だった鈴木俊三氏の娘に婿入りすると同時に鈴木自工に入ったが、婿養子故の苦労も。それをはねのける“反発心”が原動力だった。