成果報酬広告のASP事業を軸にwebコンサルティング事業などを展開。設立16年のベンチャーでありながら、東証グロースへの上場を実現し、さらには1年で年商を28億円伸ばすなど、国内外で成長を続けている株式会社レントラックス。この快進撃を支える「イズム経営」を社内に浸透させた立役者が、同社の現代表取締役社長である山﨑大輔氏である。本連載では、書籍『イズム経営――社員からも顧客からも愛される企業文化のつくり方』の著者であり、同社代表取締役社長である山﨑氏が、今に至る道のりと上場の裏側を語る。
キャデラックのために働き続けた学生時代
大学2年生の後半くらいから、お金を稼ぐことに夢中になり、アルバイトで社会人に近い収入を得るようになりました。理由はシンプルで、お金がないと欲しいものも買えず、後輩や付き合っている彼女にご馳走もできないのが、単純にかっこ悪いと思っていたからです。「よいクルマに乗りたい」という思いも、私を突き動かしていました。憧れていたクルマは当時、過走行の中古車でも200万円以上の価格がついていたアメ車のキャデラックです。どうしても学生のうちにキャデラックを自分で購入して乗りたかったので、アルバイトで頑張って稼ぎました。
学生時代、私の予定は常にぎっしり埋まっていました。当時のスケジュールを見返しても、「何も予定がない日」はほとんど見当たらないと思います。たとえば、大学の仲間とスノーボードに行くとしたら、10時から22時までアルバイトをし、家に帰って支度して車で出発。仲間と深夜に合流した後、高速料金を節約するために一般道で行くので、ゲレンデまでは5~6時間程度かかるのですが、この時間はとても楽しく、全く苦ではありませんでした。
目指したのは、常に「一番」
学生時代の私には「社会で武器になるのは学歴や経歴ではなく自分自身の力だ」という認識がありました。卒業後は「新卒でも頑張り次第で稼げる」という条件に合致した、中古車買取と販売を手がける株式会社ガリバーインターナショナル(現・株式会社IDOM)に入社しました。入社後に新入社員研修を終えた私は、まず店舗で、中古車買取業務の補佐を経験しました。その仕事を2か月ほど経験したのち、すぐに法人営業に配属されることとなります。
法人営業チームでは、超絶厳しいことで有名な役員の元に配属されました。厳しい研修がありましたが、常にゲーム感覚で取り組んでいました。同期の中で最初に合格して、いち早く現場に出るというゲームです。念願かなって、同期の中でいちばん早く現場に出してもらえることになりました。
次なる目標は「初日に契約を取る」です。このこだわりは誰よりも強かったと思います。千葉県富津市の整備工場に行き、その日に夕方の商談で、即決で契約を獲得することができました。すると、社長を名乗る電話がかかってきます。社長が新卒社員に電話をかけてくるなんてありえない。「いやいや……(笑)。誰なんですか?」と聞いたら、本当に羽鳥社長だったので驚きました。
新卒が初日で契約を取るというのは、それくらいインパクトのある出来事だったのです。