・「両論併記」を求める
たとえば、マスコミは片方の意見しか書いていないとして両論併記を求める。両論併記というと聞こえは良いのだが、危険な罠でもある。
なぜならデマとデマではないものを併記するのは「両論併記」とは言えない。デマは事実と「両論併記」され、読んだ人が「どちらが本当か判断できない」と考えた時点ですでに目的を果たしてしまっている。それがデマを流す人の狙いである。
両論併記が必要な場合ももちろんあるが、「両論併記」を求める人が、何を「両論」にしようとしているのかは確認した方が良い。
出典元がないデータに注意
・関係のない図解やグラフを「証拠」のように使う
SNSなどの投稿に、ある主張とともに、図解やグラフが載せられていることがある。パッと見ではその主張の裏付けや根拠が載っているように思えるのだが、よく見ると、主張に特段沿う内容ではない場合がある。
どこまで意図的に行われているのかわからないが、見出しだけで記事を再投稿しない方が良いのと同じで、こういった投稿にも気をつけたい。
また、出典元がないデータや、出典元があっても存在しない機関であることもあり、気をつけたい。
すでに言われていることではあるが、昨今のデマの扇動は「仮想敵」を作りあげ、敵と闘う自分たちは他の者とは違うという特権意識を持たせるところから始まる。自分は人より優れているはずだと思い込みたい感情や、同じ思いを持つ仲間とつながりたい感情を利用される。
人より優れていたいとか、誰かとつながりたいという感情自体は人間にとって当たり前のものであり、それ自体が責められるべきではない。悪いのは、その感情を利用して自分の目的のためにデマを流す者たちである。デマに流されないためにも、上記のようなやり口を多用する「インフルエンサー」とは距離を置くのが無難である。