おそらく私たちが今いるのと同じくらいの午後8時前後に、お2人で虫の鳴き声を聞きながら歩かれたのだろう。陛下とお孫さんが2人きりで虫の音に耳を傾ける姿を想像するだけで、うれしくなった。

 応接室はテラス戸を開け、網戸にしていた。陛下は耳を網戸の先の庭に向けて、

「今日も虫がよく鳴いている」

 とおっしゃりながら、しばらく虫の音を楽しんだ。

 陛下は「悠仁」と孫のことを呼んでいた。悠仁さまが陛下のことをどう呼ぶのかは聞きそびれてしまった。やはり御所言葉の伝統にのっとって「おじじさま」、皇后さまのことは「おばばさま」と呼ばれるのだろうか。これは私の想像に過ぎないが、そんな伝統にはしばられない、世間と変わらない祖父と孫の関係に近いのではないかという気がした。陛下は悠仁さまのことを「かわいいんですよ」と繰り返しおっしゃった。孫を思う気持ちとして「かわいい」と感情を抑制することなく素直におっしゃったことが、私たちには印象に残った。

「誤解を解くために記事を訂正してください」
三笠宮殿下のお言葉に同意した

 民間出身で初めて皇室に入った美智子さまは、皇族や華族から思わぬ反発を受けたと伝えられてきた。それが想像以上のものだったと私がはっきりと知ったのは、昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁殿下に話をうかがう機会があり、驚いたことがあったからだ。

 三笠宮殿下に最初にお目にかかったのは2005年のことだった。原武史さん、吉田裕さん編集の『天皇・皇室辞典』(岩波書店)を刊行した際、私は、秩父宮、高松宮、三笠宮の項目を担当し、三笠宮の項目で東條首相暗殺計画について触れた。三笠宮は当時、大本営参謀だった。陸士時代の同期生津野田知重から計画を知らされた三笠宮が貞明皇后に相談したために計画が漏れ、関係した将校らが憲兵隊に一斉逮捕されたという説があり、それについても書いた。

 すると三笠宮家から版元に連絡があり、書いた人に説明したいというので宮邸にうかがった。

「実際、困っているんですよ。そんなことはないんですから」