保阪正康 著
そういう経験をした者のひいき目もあるかもしれないと思いながらも、こう申し上げた。
「秩父宮殿下が2.26事件に関与したとか、青年将校にかつがれる危険性があったという見解は間違いだと思っています」
すると陛下は意外なことに、
「そうですかあ」
と腑に落ちない表情でおっしゃった。語尾の「か」が上がった明らかな疑問を呈する言い方だった。「秩父宮さんも苦労されたようですね」といった返答を予想していた私は一気に冷や汗が出た。
懇談会の後、恒例となった2人の「反省会」で半藤さんも、「あのお返事は微妙だったなあ。語尾が上がっていたからねえ」と言ったことを覚えている。
秩父宮は戦時中に結核にかかり、10年以上療養して1958年に50歳で亡くなっている。
昭和から平成へ御代替わりがあってまもない頃、秩父宮妃殿下にお目にかかった際、妃殿下が「あちらさまは親身の治療を受けました」とふとおっしゃった。昭和天皇のことを「あちらさま」とおっしゃるのかと心に引っかかった。夫である秩父宮は「親身の治療」を施してもらえなかったというニュアンスも感じられた。むろんこれは私の受け止め方である。
幸い妃殿下と私とは質疑応答の波長が合ったようで、
「誤解されていることがいっぱいあるんですよ。私たちが(美智子さまのことを)不愉快に思っているという人がいて困っています」
という話までされた。話に尾ひれがついて噂が広まったこともあるのかもしれない。だが、あの時も、皇族の間には時に軋轢が生じ、家族間に微妙な空気があることを感じた。そして今回もまた「そうですかあ」という陛下の短い言葉に、天皇家のほかの宮家への警戒感を感じずにはいられなかった。