その時も、民間から妃を迎えたことに批判的な話をうかがった。

 寛仁親王殿下は、「民間出身の妃は皇族ではない」と繰り返し語り、

「皇統が切れてしまいそうなのは、民間から入れたからだ。五摂家の中から妃を選べばよかった」

 などと以前のシステムについて口にされた。私なりの疑問も率直に質す形になった。

「殿下、そうはおっしゃいますが、皇統を守るためには女性天皇もやむなしではないでしょうか」

 すると親王殿下は、

「昔は側室がいてね、次々と子を作ったけれど、今は……」

「旧皇族の中から男系男子を選べばいい」

 といった話を滔々とされる。全体におっしゃることは実現性が乏しく、「下々の者が何を言うか」という私に対する厳しい視線も感じた。

 しかし反面、長く支援を続けてきた障がい者の話題になると、「札幌で障がい者の大会があって、明日行くんだ」とやさし気な様子でおっしゃる。二面性のある方だという印象を受けた。

 三笠宮崇仁殿下の義姉にあたる秩父宮家の勢津子妃殿下と高松宮家の喜久子妃殿下が美智子妃に厳しかったことは、昭和天皇の侍従長入江相政の日記などからも明らかになっている。勢津子妃殿下の母松平信子は、学習院女子(華族女学校)の同窓会組織常磐会の会長であり、ご成婚に反対していたこともよく知られている。

秩父宮殿下が2.26事件に関与した
見解は間違いだと思っています

 3回目の懇談で、石原莞爾の話から2.26事件の話になったとき、私は秩父宮殿下の評伝も書いているので、「事件を起こした青年将校の間には、秩父宮殿下をかついでクーデタを起こそうとした者もいましたけれど、事件発生時に弘前連隊にいた殿下はすぐに東京に戻って、昭和天皇をずっと補佐しました」「戦後、慶應大学とオックスフォード大学がラグビーの交流試合をやった時も尽力されました。人間天皇としての昭和天皇を側面から支援されたところもあったと思います」という話をした。

 陛下は黙って聞いておられた。

 私は秩父宮妃殿下に会って話もうかがっているし、資料の提供をいただいたこともあった。