ある日私は、この美術館が最初期に獲得したと思われる絵画を見つけた。その手がかりになったのが受入番号(物品ラベルのいちばん下に記されたシリアルコードのような数字)である。一般的にこの番号は、「2008.11.413」のように長い。だが私は、「74.3」という短い番号を見つけた。これは、1874年にコレクションに加わったことを意味している。メトロポリタン美術館が現在の場所に永住の地を見つける6年前のことである。その番号がついた絵画は、この美術館の創設者の1人、ジョン・フレデリック・ケンセットが描いた、地味だが美しい風景画だった。
ケンセットは、この国ではまだ風景画家が職業として認められていない時代に生まれ育ったため、彫刻家として修業を積み、紙幣の印刷に使う原版を彫る仕事についた。だが存命中にニューヨークが飛躍的な成長を遂げ、ハドソンリバー派の画家たちと交流するようになるにつれ、アメリカ初の大規模な美術館を創設する取り組みに参加するようになった。
近代アメリカを作った
ロジャーズ基金の貢献は美術館にも
だが、最初はさほど大規模なものではなかった。ルーヴルなどの美術館は、王室のコレクションが元になっている。だがメトロポリタン美術館のコレクションは、一般市民から集めるほかない。同美術館の最初の評議員を務めた商人や資本家、政治改革論者や芸術家たちである。最初の数年間は、展示する価値のある作品を集めるのに苦労し、贈与や遺贈などで思いがけず手に入れた作品、計画よりも偶然により獲得した作品に頼るしかなかった。私が調べたところ、ケンセットの風景画も、この画家がロングアイランド湾で女性を救おうとして溺死したのちに、弟から寄贈されたものだった。これらの風景画数点は、「最後の夏の作品」と呼ばれている。
こうしてラベルのいちばん下を見る癖がつくと、至るところで同じ2つの単語に出くわすことに気づいた。「ロジャース基金(RogersFund)」である。メトロポリタン美術館は贈与や遺贈、購入を通じて芸術作品を獲得していったが、どうやら、誰よりもその購入に貢献したのが、ジェイコブ・S・ロジャースという人物だったらしい。