機関車の製造会社を経営していたロジャースは、トーマス・ジェファーソンがまだ生きていた1824年に生まれ、ルイ・アームストロングが生まれる1カ月前に死亡した(アメリカの歴史はそれほど短い)。私が中2階のパソコンを使って検索してみたところ、アメリカ美術の展示エリアだけでも、1500点以上の品に彼の名前が記されている。幌馬車の修理に使われた18世紀のジャッキ?それもロジャース基金。ティファニーが1879年につくった銀のトレイ?それもロジャース基金。

“変わり者”が気まぐれで
500万ドルもの大金を遺贈

 だがロジャースは生前、メトロポリタン美術館とはほとんどつながりのない存在であり、芸術に特別な関心を抱いていたわけでもなかった。(当人の希望により)葬儀もなくロジャースの遺書が読まれたときには、そこに何が書かれているか知っていた者は1人もいなかった。この短気な変わり者は、自分にしかわからない理由により、自分の家族を見限り(数名のおいとめいにはわずかな遺産を与えた)、500万ドルもの財産をメトロポリタン美術館に遺贈した。

 これは、当時としては驚異的な額である。こうしてメトロポリタン美術館は、一夜にして莫大な寄付金を手に入れた。それはいまも多額の利息を生み出し続けている。要するに、すべてがロジャースの恨みや気まぐれのおかげなのだ。もちろん、煙を吐きながら大陸を横断していた鋼鉄製の機関車のおかげでもある。

 収集欲は、美術館どころか個人をもとりこにする。メトロポリタン美術館の第4代理事長J・P・モルガンは、その財産の大半を投じて貴重な写本や芸術作品を収集した。そのうちのおよそ7000点が、いまもメトロポリタン美術館にある。ジョン・D・ロックフェラーがモルガンの遺書朗読の席で、こんな皮肉を言ったほどだ。「考えてみれば、彼は大金持ちでもなかった!」。また、それ以上にめったにないことだが、実際にはさほど裕福でもない人物からコレクションを寄贈されることもある。そんなコレクションのなかでも私のいちばんのお気に入りが、この中2階にある。

穏やかなベテラン警備員が
饒舌に語るクリケット愛

 ある平日の午後、私はジェファーソン・R・バーディックのコレクションが展示されている部屋に配置された。シン主任もそばにいる。穏やかな話し方をする主任はもはや70代半ばだが、退職する気配はまったくない。メトロポリタン美術館で40年も過ごしてきたため、沈黙にこのうえない心地よさを感じている。いまも数分にわたり2人で腕組みして立っているが、一言も口をきかない。