父は嘘をついた。彼は自分が整備工としての訓練を受けている、と履歴書に書いた。若い私の母とともにエリー湖に面したペンシルバニア州エリー市のやや内陸の方に送られ、そこでライダー・トラック社の整備工助手として働いた。
訓練を受けていないにもかかわらずうまく仕事をこなしたが、エアグラインダーの砥石が砕けて飛んで足にひどい傷を負ったため、半年間もギブスをつけて過ごさなければならなかった。ライダー社は労災補償を支払う代わりに彼を解雇した。彼がそれについて為すすべがないことを知っていたからだ。
その後、家族はロサンゼルスに移り住み、父はコリアタウンで生命保険の営業マンになった。1日10時間以上働き、とうとうマネージャーに昇進した。だが長いこと営業マンの仕事を続けたことは父に良くない影響を与えた。どれだけ懸命に働こうと十分な蓄えができなかった。
子供たちを苦しめる
人種的アイデンティティ
こうした年月、父は大酒を飲んで母と諍い、母は父へ向けるべき怒りから私と妹を殴った。父はその後銀行ローンを借りて、ロスの荒れ果てた工業地帯にドライクリーニング用の支給品を配達する倉庫を購入した。このビジネスで成功したおかげで、父は私の私立高校とカレッジの学費を払うことができた。
父は、理論上はいわゆるモデル移民だった。父に会った人びとはその静かなカリスマ性や親切さを見て紳士と呼んだが、それは種々雑多な人種や階級のアメリカ人に、生命保険の契約やドライクリーニング用の支給品を売りつける長い年月のあいだに彼が培った人柄だった。だが、モデル移民の多くがそうするように、彼は怒りを露わにすることもあった。
人種的アイデンティティの問題はアジア系移民の子どもたちを苦しめることがある。だが移民である両親は、働くのに忙しすぎて気に留めないか、自らの祖国に自分を同一化できるためそれ以上は言いたいこともないとして、人種問題に動じることはない……そう見なされている。