自己嫌悪を抱くアジア人は私たちの世代で終わると思いたいが、これは私がどこに住んでいるかにもよるだろう。私が教鞭をとっていたサラ・ローレンス大学には猛烈な女子学生たちがいた。強靱で自信に満ち、政治に関与することも多くて聡明だった。ありがたい、彼女たちこそ私たちが必要とするアジア人2.0、おたけびをあげるアジア人女性だ、と私は思ったものだ。
それから別の大学のあるクラスを訪ねたところ、そこのアジア人女子学生たちは口を開かず、綺麗な髪型をしてネズミのように従順に座っているだけだったから、それを見た私は思わずこう言いたくなった。口を開かなくちゃだめ!でなければ、踏みにじられてしまうのよ!
アメリカの移民規制解除に
チャンスを見出した父の半生
ソウルの近郊で成長した父は、少年時代には赤貧洗うがごとしだった。戦後は誰もが貧しかった。
祖父はコメから作る醸造酒を密造していたが、10人の子どもを養うことができなかったので、父は貧しい食事を補うためにスズメを捕まえて砂場で燻していた。父は賢く、進取の気性に富んでいた。
10歳のときに全国のエッセイコンテストで優勝し、懸命に勉強した結果、韓国で2番目の大学に入学を許可された。卒業するには9年もかかったが、それは韓国の国民皆兵制度のせいであり、いつもお金が不足していたせいだった。
1965年改正移民法で、アメリカ合衆国が移民規制を外したので、父はそこにチャンスを見て取った。1965年に遡ると、アジアからアメリカへのビザを取得できるのは、医師、エンジニア、整備工といったよりぬきの専門職についている人間だけだったのだ。
ところで、この選抜方法は、どのようにモデルマイノリティに関するいかさまが始まったかの良い見本である。アメリカ政府は、最も学歴が高く、十分な訓練を受けた者たちだけを移民として受け入れ、彼らの成功をすべてアメリカのおかげだとした。ご覧なさい!誰もがアメリカの夢を追うことができるのです!アメリカに来たときにはすでに医師であった人間について、彼らはこう語ってやまないのだ。