「倒産して、何があったか」を
私たちが語り継いでいく

  JALスカイ羽田事業所の長谷川陽子は2000年、キャビンアテンダントの前田清佳は2002年の入社。1980年代後半のバブル期の恵まれたJALを知る上の世代と、衰えたJALしか知らない若い世代の間にいる。

前田 これからは、倒産の経験を知らない人たちが増えてくるわけですから、
その社員たちには倒産とそれに伴う一連の出来事を、私たちが伝えていかなければいけないと思います。

  一方で、この1、2年で入社した人たちは、苦しい時代しか知らないということも、私はとても懸念しています。
  JALがつぶれたことをわかって、それでもなお入社をしてきた人たちもいっぱいいます。その社員たちも必死にがんばってきたと思うと、早く、JALの良さ、強さも見せてあげたい。

  私たちは、若い世代の人たちと一緒に、次に来る世代の人たちには、繰り返し繰り返し、こういうことがあって、こういう努力をして、今こうなったのだということを、伝えていく世代なのではないかなと思っています。

長谷川 破綻してから、実際にお客さまと接していて、いっぱいお叱りを受けましたし、「国の税金を使ってなんだ」とも言われましたが、それとは反対に、本当にJALが好きで乗ってくださるお客さまも、いっぱい、いらっしゃったのです。

  本当にありがたく思えました。今までそんなことを思ったこともなかったんです。実際、お客さまがいっぱいで混んでいると、今日は忙しくなりそうで嫌だなあと、それが本音でした。でも実際に破綻してから、本当にお客さまのありがたさというのが、身に染みてわかってきました。

  こんなつぶれてしまった会社でも、乗っていただける方がいらっしゃる。
そう思ったときに、感謝の気持ちを絶対忘れちゃいけない、と。
  それも伝えていかなくてはいけないし、お客さまあってこそのJALなのだということも、絶対伝えないといけない。みんながそう思っていたら、絶対、世界一のエアラインになれると思います。