ベーシックインカムを導入したら
働かなくなる?財政負担は増える?

おふたり(竹中氏)

竹中 社会保障の1つの進化形であり、新しい形態だと私は思います。ベーシックインカムというのは、要するに、一定の金額を、無条件で、個人に与えましょうということなんですね。

 例えば、東京都では、都内に在住する18歳以下の子どもに対して1人当たり月額5000円の児童手当を支給しています。これも部分的なベーシックインカムといえます。コロナ禍の時は全世帯に対して1人当たり10万円を給付しましたよね。あの時、日本もベーシックインカムを実施したんですよ。

 今のように技術進歩がめまぐるしく、AIの活用が当たり前になると、それを活用して効率よくもうける人と、取り残されて失業する人、この二極化が進んでいきます。ですので、今後、ベーシックインカムのような施策をやっていかなければいけない段階にきているんです。

 東京都の児童手当だって、都知事が代わったら、もしかしたらなくなってしまうかもしれません。それでは将来に対する予見性がないので、一定額が国民に行き渡るような安定的な制度を、きちんとつくる。

 それを実施するひとつ前の手段として、所得の低い人には「マイナスの所得税」にする。所得税というのは、税率がゼロまたはプラスですが、この税率を一部、マイナスにするんです。つまり、所得の低い人には、所得の一定金額を渡すという形になる。「給付付き税額控除」といいますが、これも広い意味でのベーシックインカムになるわけです。

 そのような、新しい所得の再分配の制度をつくるべきだと、私はつねづね、申し上げています。どの政権も今まで、所得の再配分のことをきちんとやってないんですよ。

「非常に不平等で不満だ」というふうに皆さんおっしゃるのですが、そんなこと言っていたらいつまでたっても格差が埋まりませんし、いつ自分が制度に助けられる側になるかはわかりません。これ、社会保障ですよ。社会保障制度の重要な一部として、こうしたベーシックインカムのような制度をやる時期が、間もなく来ると私は思います。まずは少しずつ始めたらいいんです。

 一部の人は「そんなことをしたら皆、働かなくなる」と言いますが、それは金額次第で、もらえる金額がそれほど多くなければ、やはり人はきちんと働くんです。

 スイスでは6年ほど前に、ベーシックインカムの導入について、国民投票をするところまでいっているんです。

おふたり(田原氏2)

田原 そうなのですか。

竹中 その時は否決されたんです。それは、ベーシックインカムの金額が大きすぎたんですよ。日本円でいうと月にたしか25万円ぐらいです。それはちょっと国は出せないということで。

 その時、やはり右派からも左派からも反対意見が出たんです。保守的な人は「そんなことをしたら皆、働かなくなるし、財政負担が大きくなる」。左派からは「そんなことを言ってほかの社会保障を削るつもりなんだろう」。でも、それは程度の問題ですから。全員に月に20〜30万円も与えたらそれは働かない人が出てくるかもしれませんが、例えば6〜7万円であれば、そうはならないかもしれませんよね。

 実は、元日本銀行審議委員でありエコノミストの原田泰さんが、ベーシックインカムについて、「年金制度や生活保障を部分的に減らすことができるので、今の税金の負担を大きくしないまま実施できる」という試算をしています。その額を5万円にするのか、10万円にするのか、7万円にするのか、そういうことを各政党が自分たちの案を出して競ってほしいんです。

 そして国民にも問うてみる。15万円もらえるけれどそうすると税金は少し高くなりますよ、6万円なら税金は今のままでできますよ、とか。私はそれが本当の、政党が争うべき政策だと思います。

【田原さん笑顔】

田原 野党は政策に反対するばかりですからね。最近は国民民主党によって「年収の壁」の議論が活発化してきましたが。

 これまでは、野党がどのような政策があっても、すべて否決されてきました。逆に言うと、どのような政策を出しても結局、否決されてしまうので、野党は政策に責任を持つ必要がなかった。

 でも今回、少数与党になったので、場合によっては政策が通ってしまう。野党はこれまでは政策に関して無責任でよかったのですが、今後は、責任を持って政策を出していかなければいけなくなりました。とはいえ、野党にはまだまだこの認識は欠けているように思えます。

竹中 まったくそうだと思います。年収の壁に関しての主張がここまで評判になるとは、玉木さん(玉木雄一郎・国民民主党代表)も予想していなかったでしょう。

 ベーシックインカムがなかなか議論にならないのは、社会保障が聖域みたいになっているからなんですね。でも、社会保障の中には、非常に大きな無駄遣いがあったりします。

 たとえば、田原さんは年金をもらっていますよね。いらなくないですか? 私も自分はいらないと思いますし、経団連の会長や、大企業で大もうけしている人たちも、もらっている。つまり、日本全体が高齢化しているのだから、65歳から年金をもらうという、若い人たちが多かった時代の制度を、同じ形でそのままずっと続けるのはおかしいんですよ。これを言うと「老人いじめだ」とか言われるのですが。

国民は日々の生活に忙しい
政治家は「指導者民主主義」であるべきだ

田原 今、寿命がどんどん延びているので、今の年金の構造だと破綻してしまう。このままだと破綻はいつになりますか?

竹中 マクロ経済スライド(※)というのをきちんとやれば破綻はしないんです。年金の支給開始年齢を70歳に引き上げたり、年金額を少し減らしたりすれば、随分違ってきます。所得があって資産がある人には年金は辞退していただく。
※物価などの社会情勢に合わせて、年金の支給額を自動的に調整する仕組み

 年金というのはもともと保険ですからね。保険というのは、生命保険をイメージしてもらえればわかりやすいかと思いますが、いくら掛け金を払っていても、生きてピンピンしていたら、まったくもらえないですよね。年金も同じで、いくら掛け金を払ったとしても、高齢になった時に、所得があって資産があれば、もらえませんよと。これは保険の原理なので、その通りにやればいいだけです。

 ところが今、年金っていうのは「年を取ったらもらう権利があるお金だ」と、多くの国民が思い込んでいる。人によってもらえないなんて言ったら、大反対が起こるでしょう。実際、フランスでもこの話題は大反対が起きました。でも本当は、そういうところに政治はきっちりと語りかけて、納得してもらわなければいけないですよね。抜本的なことをやらないとダメだと思います。

田原 なぜ政治は、そうしたことにきちんと取り組もうとしないのですか。

竹中 政治が「ご用聞き」みたいになってしまっているからでしょう。私は、民主主義社会の政治家というのは、「こうしようではないか」と提案して納得してもらう、「指導者民主主義」でなければいけないと思うんです。「年収の壁」とか「国防費はGDPの何%を占めるか」とか、国民はわからないですよ。毎日仕事にいそしんでいて、日々の生活で忙しいのですから。

 ですから、世界は今、こうなっている、だから私はこうしようではないか、賛成か反対か聞かせてくれ、と皆を引っ張っていくのは、リーダーの役割ですよ。