なぜ、女性活躍は進まないのか? ジャーナリスト・田原総一朗氏と、首相補佐官・矢田稚子氏が対談。パナソニック社員、労働組合専従役員を経て国会議員となった矢田氏。野党議員時代から積極的に政策提言を行い、異例の抜擢で岸田内閣(当時)の首相補佐官に就任した。石破内閣発足後も再任し、賃金や雇用など重要政策における提言を行っている。矢田氏は、岸田内閣と石破内閣において、「女性活躍こそが日本経済の活性化に不可欠だ」「ジェンダーや人権の問題としてではなく、経済政策の本丸として捉えるべきだ」と強く説く。その提言の特徴はデータドリブンにある。例えば、女性が出産後、「正社員で働き続けた場合」と「専業主婦になった場合」では、世帯収入に1億6700万円もの差が生じるという。飛び出てくる驚きのデータの数々に、田原氏も思わず舌を巻く。(文/奥田由意、編集/ダイヤモンド社 編集委員 長谷川幸光、撮影/佐藤直也)
労働組合の専従役員や野党議員を経て
首相補佐官へ「異例の抜擢」
1934年、滋賀県生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所や東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、1977年からフリー。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」などでテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)」受賞。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。近著に『さらば総理』(朝日新聞出版)、『人生は天国か、それとも地獄か』(佐藤優氏との共著、白秋社)、『全身ジャーナリスト』(集英社)など。2023年1月、YouTube「田原総一朗チャンネル」を開設。
田原総一朗(以下、田原) 矢田さんは、当時の岸田文雄総理から「首相補佐官にならないか」と声がかかった。首相補佐官としてどのようなことをされているのですか?
矢田稚子(以下、矢田) 首相補佐官、正式には「内閣総理大臣補佐官」といいますが、首相の企画立案について補佐したり、ある専門分野について首相に具申したりします。1996年第1次橋本龍太郎内閣のときに事実上、そうした役割が設置され、その後、正式に法制化されました。
田原 重要な政策を直接、アドバイスするので、総理が信頼する人が選ばれるといいますね。
x 僕と矢田さんはこれまで何度もお会いしていて、ご活躍は存じ上げていますが、読者のために少し自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
矢田 1984年に、パナソニックの前身である松下電器産業に入社しました。そこでは人事部門に所属し、採用や社員研修、給与・福祉など、人事・総務系のありとあらゆる業務を17年間、担当しました。
2000年、同社の労働組合の専従役員になりました。当時、組合員は約8万人いましたが、まだあまり労働組合の専従役員に女性がいなかった時代です。でも、人事での経験を活かしてほしいと言われ、お引き受けさせていただきました。
そして16年間、賃金や教育関連、女性活躍、広報、福祉、経営対策などを担当しました。それこそ、社内の「政治活動」以外、ほぼすべての分野です(笑)。具体的には、労働条件の整備や、育児介護休業制度の拡充、社内託児所の整備のほか、パナソニック初の不妊治療休暇(チャイルドプラン休暇)の制定にも関わりました。当時はまだ不妊治療に対する理解が乏しい中での奮闘でした。
内閣総理大臣補佐官(賃金・雇用担当)。大阪府出身。高校卒業後、松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)に入社し、人事部総務課に配属、経営企画などを担当する。その後、同社労働組合の専従役員や、産業別組合の電機連合で男女平等政策委員長を務める。2016年、民進党から比例代表で参議院議員に初当選。その後、国民民主党の副代表や顧問などを務める。2023年、次期参院選への不出馬を表明、パナソニックに復職を考えていたところ、官邸から打診があり、第2次岸田第2次改造内閣の内閣総理大臣補佐官(賃金・雇用担当)に就任。2024年10月1日に発足した石破内閣において、内閣総理大臣補佐官に再任した。
ただ、どんなにがんばって会社から制度を勝ち取ったとしても、それはパナソニックの中だけでの話であり、次第に限界を感じるようにもなったのです。これらの問題は一社の労使間だけの課題ではない、社会全体で取り組むべきではないだろうかと。
そのようなとき、電機産業の企業の労働組合でつくる「電機連合」から選出する議員候補として、第24回参議院議員通常選挙に出馬しないかと声をかけていただきました。2016年のことです。
田原 電機連合から議員を出すという伝統があったのですね。
矢田 はい。パナソニックからも毎回、議員を擁立していました。ただ、それまでの48年間、候補はすべて男性だったため、女性の議員も必要なはずだということで、私にお鉢がまわってきたのです。
当時、夫は単身赴任中で、私は小学6年生の息子と母子2人暮らしです。比例区での出馬となれば、全国を行脚して選挙活動をする必要があるので、立候補は大きな決断でした。大いに悩みましたが、政治の世界にまだまだ女性が少なく、また、組合活動を通じて職場環境を改善してきた経験を社会に活かせるかもしれないと思い、出馬しました。
田原 どの政党から出馬されたのですか。
矢田 野党第一党であった民主党の後継政党、当時の民進党公認で比例区から立候補し、当選することができました。6年の任期中、内閣委員会や経済産業委員会、予算委員会などで理事を務めました。しかし、2022年の選挙で落選。一度は会社に戻る準備をしていました。
田原 そのタイミングで、当時の岸田文雄総理から声がかかったと。普通は、野党の参議院議員だった人をわざわざ首相補佐官に任命したりしないと思いますが、なぜ声がかかったのでしょう。