これに加えて、日本では政府による参入規制がある。大学の新設、学科等の改変には大学設置基準の審査があり、最近では法令による大学の立地制限もある。
学生定員の管理も厳格である。学生獲得「市場」で有力手段となるはずの授業料設定では、学費値上げ論など最近やや動きが出てきたとはいえ、国立大学全体では依然として硬直的である。
教育・研究の競争ではなく
公的資源をめぐる争奪戦に
高等教育では市場競争は成立しにくいのなら、ではわが国の大学はいかなる競争をしているのか。
筆者は、それは公的資源をめぐる競争だと考える。たとえば、2022(令和4)年に公募が始まった「国際卓越研究大学」(いわゆる「10兆円ファンド」)をめぐって、いくつもの大学が手をあげた。
今回は不採択に終わった大学も次回再挑戦する動きがあり、また激しい競争になろう。
2014年から「スーパーグローバル大学」事業という大型助成があったのも記憶に新しい。これ以外に常時、小型の競争型の助成プロジェクトが多数存在する。
加えて、国立大学に毎年交付される運営費交付金でも競争色は強まっている。共通指標や法人評価の反映分である法人運営活性化支援の他にも種々の評価連動部分があり、相当の比重を占めるようになっている。
その総額は、たとえば2019(令和元)年度概算要求では1255億円にのぼり、これはこの年の運営費交付金総額1兆1286億の11.1パーセントに相当する(文科省2018)(注2)。
以上の公的資源をめぐる争奪戦こそが、現在の大学間競争の主たる様相だと考えられる。このような競争のあり方はむろん日本だけにかぎらないが、わが国では市場競争的要素の弱い分、ことに強く現れているようである。
競争は本来、大学の自律と両立し、教育・研究の活性化を促す作用がある。では、現在の日本の大学間競争にそのような作用はあるのだろうか。この点はかなり疑念をもたざるをえない。そして、そこに現在のわが国の大学間競争に付随する弊害が見られる。
国家規制が強い日本では
競争はきしみを増やすだけ
わが国の大学間競争の第1の問題点は、大学の自律が乏しいなかで競争が設定されていることである。
わが国では大学に対する国家規制が相対的に強い。この状況下では、競争で他大学に対して優位に立つために大学が対処策をとろうとしても、行動の余地がかぎられる。言いかえれば、競争を促したところで、高等教育全体として改善という果実は生まれにくい。その一方で、競争の圧迫だけは大学にのしかかる。