一例をあげよう。教育・研究の競争力を向上させるうえで、債務によって最新設備の導入をはかるというのは、大学にとって1つの選択肢である。しかし、大学に債務をおこす権限が認められていなければ、この案は実行できない。
そして、わが国では国立大学の債務権限はかなり限定的である。最近は若干緩和されて、東京大学をはじめ有力大学が大学債を発行するようになったが、まだごく一部の動きにとどまっている。
一方、ヨーロッパでは9つの国・地域において、大学に債務を無条件で認めている(Pruvot et al. 2023:31)(注3)。債務権限は大きければよいというものではないが、日本の大学に財務面での自律性が乏しいことは指摘できる。その分、競争による改善効果は乏しくなる。
以上の問題は、公的資源をめぐる競争にかぎらない。およそ大学間競争全般において、規制が残存するなかで競争を促すのは生産的でない。得られる効用は乏しいわりに、きしみだけが増えることになる。
予算や学務の面で規制が再強化される傾向にあり、これが変わらないようであれば、今後競争に伴う摩擦はいよいよ大きくなろう。
競争を強いられた各大学が
横並びの施策に走る皮肉
第2に、競争における審判の問題がある。そもそも競争が成立するには、優劣をわかつ基準と勝ち負けを判定する審判の2つが必要である。市場では、価格の高低が売り手の間の優劣を決め、需給の市場メカニズムが勝敗を判定する。
一方、わが国の大学間競争では優劣基準がさほど明確ではない。研究助成プログラムに同じような申請が提出され、一方が採択され、他方が落ちる。釈然としない感を抱いた大学関係者は少なくあるまい。
もっとも、これはやむをえない面がある。質的な性格の強い教育・研究において、大学間の優劣を客観的に示すような判断基準は乏しい。
加えて問題なのは、審判が一元化されていることである。勝敗が審判1人の胸三寸で決まるようであれば、健全な競争とはなるまい。そして、わが国の公的資源の配分では、何といっても配分元の文科省の発言力が大きいのは容易に想像されるところである。