少なくとも大学側では、事実上配り方を決定しているのは文科省だとの受けとめ方が普通である。「評価される側の大学は……政府の顔色ばかりを見るようになって」(山口2017:274)(注4)いるという意見は決して珍しくはない。

 また多くの学長は、政府に批判的な発言をすると、補助金などの配分で不利益を被るという不安を抱いている(朝日新聞、2024年4月28日)。

 優劣の基準も審判の判定も不透明だということは、大学としては、競争に勝つためにどんな対策を講じればよいのかわからないということである。そうだとすれば、ここでも競争が改善効果を生むとはあまり期待できない。

 加えて、一元化された競争には、画一化を助長するという弊害もある。審判が1人しかいないなら、勝ちぬくコツはその審判の考えに合うようにプレーすることである。だれもがそう考えるから、結果的に同じようなプレーが並ぶことになる。

 あるいは、敗れた者は、勝者のモデルを成功の秘訣として模倣するだろう。こうして、どの大学も同じような取り組みを学内で行い、同じような内容の助成を申請する傾向が生じる。

 たとえば近年、大学教育の目ざすべき1つの方向として、学習者本位の学びが強調される。そのせいだろう、諸大学の中期目標・中期計画を見ると、アクティブ・ラーニング(ディベートなどの双方向的授業など)の強化を掲げないところはないという印象である。

 なかには、科目の特性も考えず、ひたすら高い導入率だけを目ざす動きすら見られる。

 このように画一化が進めば、大学間の質的な相違は縮小する一方である。わが国の高等教育政策では、「個性豊かな魅力ある国立大学」の創出を理想に掲げているが(戦略的経営検討会議2020)(注5)、これで個性の発揮は可能なのだろうか。

巨大な格差がある大学同士を
同じ土俵で競わせるべきなのか

 第3に、日本の大学間競争に歪みを与えているのが格差の問題である。健全な競争は相対的に同等のプレーヤーの間でないと成立しない。しかし、わが国の国立大学の間にはかなり大きい格差があり、しかも固定的である。

注4 山口裕之,2017,『「大学改革」という病』明石書店

注5 [戦略的経営検討会議]国立大学法人の戦略的な経営実現に向けた検討会議, 2020,「国立大学法人の戦略的な経営実現に向けて(最終取りまとめ)」,https://www.mext.go.jp/content/20201225-mxt_hojinka-000011934_2.pdf,[2024年5月29日]