お互いに相手をけなすことしかない学校という社会の中で、受験競争からはみ出し、とり残された生徒たちは、登校の意味を暴力に訴える形で見つけ出そうとする。彼らの発想の根底には、存在を示す自己主張があるといえる。
その点を抑えてかからない限り、校内暴力の問題は解決しそうにない。(「社説 校内暴力にどう立ち向かうか」『毎日新聞』1980年10月5日)
事件を起こした生徒たちの背後に、「自分も暴れたくなるときがある」とつぶやく多数の中学生がいる事実は、いくつかの調査で実証されている。いま、とりわけ中学生が、学校を憎んでいるのだ。それが、高校入試に向けての成績至上主義と、無理を承知でその体制を貫徹しようとする管理主義からきていることは、もう明白といえよう。(「社説 その場しのぎ通じぬ校内暴力」『朝日新聞』1981年8月27日)
なぜ、暴力が横行するか。その背景は単純ではないが、根は偏差値教育にあると断じたい。学歴志向の風潮の中で、学校は偏差値工場と化している。一教師、一学校の意思を超えて、現実という巨大な歯車は回転する。教師の多くは、苦悩に満ちた職工たらざるを得ない現実である。ここに教育は存在しない。(「校内暴力の根を断て」『朝日新聞』1983年3月1日)
「学校不信」の一因は
学校教育の位置づけの変化のため
学校はすっかり偏差値偏重の教育に毒されてしまっており、厳しい受験体制のもとで多くの生徒たちがその重圧に苦しみ、またある者は「落ちこぼれ」の烙印を押され、競争から取り残された疎外状況に陥っているというわけである。
いわゆる「偏差値教育」批判はすでに1970年代には始まっていたが、それを核にしながら、学校教育に対する厳しいまなざしは、あたかも雪山の斜面を転がる雪玉のようにして膨らんでいったのだった。このように当該期における教育問題は、個々の家庭や社会状況にその原因が求められる以上に、学校教育そのもののひずみの現れとして解釈される傾向にあったと言える。
構築主義的な観点で捉えるなら、このような原因論までも含めて、ひとつの解釈枠組みにほかならないのであるが、ここではしかし、このような状況認識が広く受け入れられることになった時代背景にこそ注目しておくことにしたい。
このような「学校不信」とも言うべき状況は、それだけ学校教育が数多くの人びとの生活の中に大きな位置を占めることになったことの裏返しであったと言えるだろう。