重要な前提として押さえておかなければならないのは、この時期にはそもそも、日本の学校教育はかつてない新しいステージに到達していたという事実である。
学校は競争主義から
「個性尊重」を希求する空気へ
図3-3にある通り、1950年代半ばには50%強程度だった高校進学率は、その後の高度経済成長期を通して急上昇し、早くも1970年代半ばには90%超に到達している。高校教育はきわめて短期間のうちに準義務教育的な存在へと変貌していたのだった。

拡大画像表示
かくして、少し以前までは「進学するかどうか」という選択の対象であった高校進学機会が、「進学して当たり前のこと」「進学しなければならないもの」になってしまっていた。
他方で日本の高校は学校単位でトラック化されており、つまりは選抜制度を介した序列的な構造にあったため、ここに一定年齢層のほぼ全員が、高校進学時点で何らかの形で選抜を経験しなければならない事態が生起することになったわけである。「偏差値教育」認識も、こうした状況を前提とするものにほかならなかった。
このようにみてくると、1980年代に入る頃には日本の学校教育は、ある種の完成段階の域に到達していたと言えるのかもしれない。戦前における初等教育=小学校の義務就学の完成が日本の学校教育の最初の完成の局面であったとするなら、戦後の中等教育=高等学校の準義務教育化は第二の完成ということになるだろう。

学校教育が完成の段階を迎えると、社会的な感度は、一転してそのひずみのほうに向かうようになる。学校教育のはらむ競争主義や画一的性格が批判され、そして「個性尊重」を希求する社会的な空気が急速に充満してくる。
『窓ぎわのトットちゃん』のブームは、まさにこのような社会的な文脈のうえで起こった出来事であった。そしてこんどは「個性重視」を標榜する教育改革がそれに続くことになるのである。