
滝沢秀一と西堀亮の2人による“ダブルツッコミ”が特徴のお笑いコンビ「マシンガンズ」。1998年結成、芸歴26年目という大ベテランだが、2023年「THE SECOND~漫才トーナメント~」で準優勝し、再ブレイクするまでの道のりは非常に険しいものだった。「ボキャブラ天国」芸人も「爆笑レッドカーペット」芸人も見てきた二人が、今改めて思うこととは?
※本稿は、マシンガンズ著『もう諦めた でも辞めない』(日経BP)の一部を抜粋・編集したものです。
第1ブレイク期
――売れるまでにはどれくらい掛かりましたか?
滝沢 僕らなんか、周りに比べたら1番遅かったです。テレビでネタをやるっていうのも9年目までなかったですし。それが、『爆笑レッドカーペット』の深夜版の『爆笑ピンクカーペット』っていう番組(07年6月の第2回に出演)。初めてテレビで1分間のネタをやって。そこに至るまで、結構時間が掛かりましたね。
西堀 その少し前から、ダブルツッコミにしたんだよね。
滝沢 そう、『ピンクカーペット』はそれで受かった。事務所のライブを見に来たスタッフさんが、オーディションに呼んでくれて。柳原可奈子が、特番時代の『爆笑レッドカーペット』で、初代レッドカーペット賞を取ったんですよ(07年2月)。柳原はそれで大ブレイク。事務所の電話が鳴り止まない、みたいな。その後になります。
西堀 ダブルツッコミは、いまだにやってますからね。
滝沢 最初の5年間くらいは、僕がボケてたのかな。ウケないから、じゃあ代わろうってなって、西堀がボケるようになったんです。それが4年間ぐらいで、やっぱりウケない。じゃあ、もう(芸人を)辞めようかっていうことで。
前から、この形はどうかって言ってたのが、ダブルツッコミの形なんですよ。お客さんの悪口を言ったりとか、「お笑いファンって気持ち悪いよな」みたいなネタ。それでウケなかったら辞めようと思ったんですけど、意外ともう、最初の成功体験の時ぐらいウケたんです。
じゃあ、もうちょいやろうかって。僕はたけしさんが好きだったんで、文句を言ったり、毒づくのがどっかで好きなんでしょうね。それで、そんな方向性にすればいいんじゃないかなと。
西堀 あれ、『レッドカーペット』演出の藪木健太郎さんのアドバイスで完成したんだよね。藪木さんが原型を作ってくれたっていうイメージ。
滝沢 形としてはそうだね。僕は「ダブルツッコミをやろう」って言ってたんだけど、西堀は「どうも違う気がする」って。それで、藪木さんのところに行ったら、「2人で合わせたほうがいいよ、そのほうが分かりやすい」って言われたの。その中で1カ所、2人で一緒に手を挙げているところがあって、「それ、全部やったほうがいいよ」って。
ダブルツッコミにして活路が開けた
西堀 そうか。だから、07年からやっと動き始めてるって感じですよね。07年の12月に、初めて『M‐1』の準決勝にも行ってます。