西堀 09年3月からレギュラーで出演した『おもいッきりDON!』が、若手芸人の登竜門みたいな感じで、若手がパーソナリティーをやることが多いFM FUJIでもラジオが始まって(『NEVERMIND!!』09年~11年)、このあたりはまあ、胸張って「芸人です」って言える時期じゃないですか。充実してたし、楽しかったけど、「もっと、もっと」とは思ってたよね。

滝沢 ただ、ネタ番組しか出てなかったんだよな。なんで『踊る!さんま御殿!!』とかには呼ばれないんだろうなって。

西堀 この頃になると、少しは焦ってたかもしれない。時間的にはバタバタはしてるんだけど…って感じですね。レギュラーもあるし、いろんなことをやって、ある程度お金も稼げるようになったけど、もうちょっとこう、「出られないもんかね」という感じですね、たぶんこの時期は。

 単純に、ネタをやる番組自体が多かったです。フジテレビの『レッドカーペット』や、日本テレビの『エンタの神様』のほか、TBSでは『ザ・イロモネア』があったし。似た番組がいっぱいあって、同じようなメンバーで、ずっとネタ番組をぐるぐる回っている感じなんですよね。

 ショートネタブームだったから、営業でもやりましたよ。パチンコメーカーさんが「レッドカーペットをやりたい」ということで、太田プロから4~5組行って。社員向けのイベントで、会長に「中笑い」を出されたり(笑)。

ネタブームの“その先”になかなか行けず…

滝沢 もっとトークバラエティとかやってみたかったけど。一般的に「売れている」芸人さんっているじゃないですか。そういうふうになりたいと思ってました。

西堀 ダウンタウンさんみたいな、王道を目指して始めていますから。ネタブームが来て良かった面もあるけど、なかなかその先に…って感じですよね。たぶん『ボキャブラ天国』(92年~99年)のほうが、もっとギュッとしたメンバーでやっていたから、芸人の総数は少ないと思うんです。

 だから、フィーチャーの度合いが全然違うというか。同じお笑いブームでも、ボキャブラ世代の方たちは、忙しさのケタも違ったんじゃないかな。僕らももっと出たかったですね。ちょっとこのあたり、よく覚えていないんだけど。

滝沢 活動の頂点は、「レッドカーペット賞」を取った時かな(08年10月)。

西堀 収入もその辺が1番良かったかも。