滝沢 ダブルツッコミをやり始めたのが06年の終わり頃。それがウケ出したんだけど、半年間ぐらいは何の仕事もなかったです。月1開催の太田プロライブで6カ月間連続1位になって。その当時、そんな記録はまれで、僕らも気分が良かったんですよ。でも、仕事は入ってこないから、しばらく「何なんだこれは」っていう感じはあったけど。

 事務所的にも、最初は「ただグチを言ってるようにしか聞こえないからやめろ」みたいなこと言われたんだけど、ウケるようになったら、手の平を返したように(笑)。まあ、そういうことはありますよね。結果的には、事務所ライブから『ピンクカーペット』のオーディションにつながった感じです。

西堀 俺、意外と焦っていた記憶がないんだよな。初めて「ウケてる」っていう状態だったんで、全体的に気持ちが上がってた気がする。うれしいっていうか、考えた通りにウケる状況が特別というかね。

 今までは、10個ツッコむ部分があったら、何個か当たればいいなっていう、「当たるかもな」でやっていたものが、手を挙げるとみんなが笑うっていう、圧倒的なこの体験にちょっと感動した気もしますよね、その時。

テレビ出演が増えて、芸人として右肩上がりの実感も

――10年くらいたってネタとウケがかみ合い、状況が上向き始めたんですね。

滝沢 9年目の07年と、10年目の08年には、『M‐1』で準決勝まで進めて。もう1年あれば、決勝に行けたんじゃないかとかね。

西堀 そう言ってくれる人もいたしね。手応え的にも、あと少しで届きそうって。敗者復活戦でも他のコンビと違う色を出せたし、行けるんじゃないかなっていう感じはしていたんですよ。

滝沢 テレビの仕事がだんだん入ってきて、『レッドカーペット』とか、『エンタの神様』に出始めたのも、この時期だと思います。当時は『M‐1』の準決勝に進むだけで、仕事が入ってきたんですよ。来年は決勝に行くかもしれない、みたいな期待から。

西堀 『エンタの味方!』(08年4月~09年3月)も、確か『M‐1』の決勝進出があり得るなって人を選んでいて、共演メンバーは三拍子と髭男爵でした。この頃は、自分たち的にも「ひょっとしたら、売れるかも」と思ってましたね。グラフで言うと、右肩上がりの時期ですよね。低いながらも、実感があって。