そうこうするうちに、何とかアベッチの筆で「具体的」な反省文が仕上がった。が、一緒に付いてきてほしいと、懇願してくる。U子さんがそれほど怖かったのだろう。

「1人で行ってごらん。大丈夫だから」

 あえて突き放した。アベッチは反省文を手に、おずおずとU子さんのいるスタッフルームのドアを再びノックした。

「うん。これでいい」

 U子さんの声が聞こえた。アベッチは両腕で私にOKサインを示すと、小走りで戻ってきた。

 だが、はたしてこれで一件落着だったのか。

 反省文の強要。それはスタッフと利用者の分断を生み、支配者と被支配者の関係を明確に浮き彫りにさせるだけの、文字通りの愚行にすぎない。

行き先を告げての外出も
「事故報告書」に記載

「Nothing About Us Without Us(私たち抜きに私たちのことを決めないで)」

 障害者権利条約の合言葉であるこのフレーズは、地域保健活動のパイオニア的な存在で、自らも筋萎縮症の障害を抱えるデビッド・ワーナーが、1998年に同タイトルの書籍を出版したことから、障害者自立運動のスローガンとして全世界に広がっていったという。

 では、このスローガンの逆は何なのか。

「当事者たち抜きに当事者たちのことを決める」

 すなわち、パターナリズム(父権主義)の徹底行使である。

 T作業所ではこのパターナリズムが蔓延していた。利用者に関する「ヒヤリハット」や「事故報告書」の記載をやたらとパート職員に要求したのも、その1つの顕れだったかもしれない。

「ヒヤリハット」とは事故や災害を被る一歩手前の状況に遭遇し、「ヒヤリ」とさせられた案件報告。「事故報告書」は文字通り事故が発生したときの案件報告だが、取るに足りない些細な案件までもこれらに組み入れることで、利用者たちに対する監視の目と制約は当然ながら強化される。

 あるとき、智ちゃんが「○×スーパーに行ってくる」と言い残し、T作業所からふらっと出て行った。パート職員が即刻後を追い、智ちゃんはすぐに連れ戻されてきたが、彼は無断で姿を消したわけではない。私たちに行き先を告げており、何らかの危険に晒されたわけでもなかった。本来ならヒヤリハットにも相当しない案件だろう。

 ところが、この取るに足りない案件について、社員のU子さんが私たちに命じたのは、驚いたことに事故報告書の記載だった。

「1人で作業所の敷地外に出たから」

 これが理由である。