と説明されて、「それも一理ある」と納得した。
特に子育てに関することは、中国社会の適当さに何度も救われた。子どもの学校で手足口病が流行し学級閉鎖になったとき、留学先の教師に話すと、「じゃあ連れておいでよ」と言われ、子連れで授業に参加させてもらった。
一時期習っていた少林寺拳法の男性コーチは、遅刻して現れても自分の子どもが通う幼稚園のお迎えの時間になると「今日はここまで」と走って帰ってしまう。
後のことは気にしない中国と
イレギュラー慣れしていない日本
日本はイレギュラーに異常なほど厳しい。電車が所定の位置から10メートルオーバーランしただけでニュースになって責任者が謝罪コメントを出す。オリンピックで日本人選手が金メダルを取る瞬間にテレビ放送がサブチャンネルに切り替わっただけで、ヤフーのトップニュースにもなる。
「後のことを気にしない」「ルールは絶対でない」中国流に慣れてしまうと、日本社会の隅々に浸透する緻密さや、「相手の行動を察して先回りする」「ルールだけでなく、ルールをよく理解していない人のための対策まで講じる」「ミスをしたときのリカバリー方法を事前に考えておく」といったバックアップの充実ぶりは変態的にすら思える。
一方で、秩序や手続き、事前準備を重視しすぎて物事がなかなか進まない課題もよく見えるようになった。新型コロナウイルスの流行初期、アベノマスクの配布にとんでもなく時間がかかり、国民に配られる頃にはマスク不足が解消していた、なんてことは、イレギュラー慣れしていない日本を示す典型的な事例だろう。
もっとも、中国流と日本流は、「人をいらいらさせるけど、自分は楽」か、「相手は満足するけど、自己犠牲を強いられる」の究極の二択感もある。
コロナ禍で4年近く海外渡航ができず日本でぬくぬくとしている間に私の中の中国像が都合のよいように補正されてしまい、日本のだめなところを見るたびに、「中国のほうが臨機応変だ」などと思っていたのだが、2023年に久々に中国に行ったら本来の渡航目的だったイベントが前日に中止が決まったりして、「ああ!中国ってこういう国だった」とやっぱり腹が立ったのである。