急にナマナマしいエピソードが飛び出しましたけど、これ、当時日本に出入りしていた数少ない国・オランダのフェイトっていう商館長の記録です。日本の国内、例えば幕府の記録だったら、これほどヤバい案件だと色々ソンタクして書かなかったり何かがありそうです。
でも、外国の人が本国に報告するレポートなら別に気を遣うことは特にないでしょうし、何よりこの記録はこのフェイトが直に聞いたことだけを書いたのが、そのまま幕府の役人の目にも触れずにオランダ本国へ送られたものですから、信用度からいけば一番マシ、ということになりそうですね。
かくして1779(安永8)年、11代将軍になるはずだった大納言・徳川家基は、わずか18歳で死亡。治済の息子・豊千代、後の家斉が11代将軍の座に就く道が開かれたわけです。
当然ですけど、家基が死んだのは「おかしい」と、様々な噂が立ったんです。意次が殺したんじゃないか、という説も流れたそうですけど、意次が一心同体の家治の後継ぎを殺しても、何一ついいことはないですよね。
一方、後々の話ですけど、治済のはからい?で将軍の座に就いた家斉は、晩年になっても家基の命日には必ずお墓に行っていたそうです。「いや実はな……」としゃべっちゃうようなお父さんじゃなさそうですが、何も聞かずとも、うすうす真相にカン付いていたのかもしれません。
田沼意次の息子・意知を暗殺
オランダ人商館長が記した「黒幕」
さて、家基という邪魔者を消し去った治済は、定信を追い落としたときは仲良く組んでいた意次を、今度はツブすほうに180度転換します。
なぜなら、意次はいずれ息子の意知に老中の職を譲りますけど、そのとき家斉を操るのは、治済にしてみれば意知ではなく家斉の父、自分じゃなきゃなりません。もっと言えば、現将軍の家治はまだ若いから、家斉のライバルとなる男の子をまたつくっちゃうかもしれません。意次と同様に家治も邪魔なんですね、治済にとっては。
で、やったのはまず意知の暗殺です。1784(天明4)年3月24日夕方、江戸城内で、老中・田沼意次の息子で若年寄の意知が、代々江戸城の番士、つまり江戸城、殿中の警護に当たっていた佐野政言――今回演じるのは矢本悠馬さん、大河は3度目だそうですね。『真田丸』(2016年)のスピンオフムービー『ダメ田十勇士』で共演しました――に斬り付けられて命を落とすんですが、これも治済の仕業では?とささやかれているんです。