祈祷しても効き目がなくて、枕元に典薬――医療と薬の係――が大勢呼ばれたんです。処方の書類を出して配合を終え、1人が調合して全員がチェックし終えたところで、1人がそこにひと匙新たに加えたんです。他の典薬たちがそいつに「我々みんなで配合したのに、それは納得がいかん。何を加えたんだ」と言ったら、「秘伝の薬です」。
他ならぬ将軍に飲ませる薬ですから、おかしなことになったら切腹モノです。
他の典薬たちが「余計な分を入れるな」って怒るんですけど、意次が「そいつは名医の評判があるから将軍家が引っ張った。手柄のつもりで入れたんだろう」とかばったんです。その後、反対した典薬たちは不服だってことで席を外したんですが、薬はその追加分も含めたまま家治に処方されました。

松村邦洋 著
ところが、その日の深夜から家治の容態は急変して危篤状態に。そのまま息絶えたんだそうです。50歳でした。
ア然。ボー然ですよね。家治が飲んだ薬に加えられた最後のひと匙が何だったのか、気になりますよね?それを加えた医者をかばった経緯を知ってか知らずか、世間ではまず「意次が毒殺した」という噂になったんです。
もっとも、意次がそれまで自分と二人三脚で来た家治を殺しても、何のメリットもありません。むしろ、後ろ盾をなくした危機的状況に陥るだけですからね。
家治が死んだ2日後の8月27日、意次は老中辞職に追い込まれます。家治が死んだ後を仕切ったのは水戸藩中興の祖と呼ばれた水戸治保ほか御三家の面々と、治済でした。
こうして翌年の1787(天明7)年、治済の子・家斉が11代将軍に就任。松平定信が老中首座に就いたんです。