日本が輸出を止めることで
秩序を乱す国を思いとどまらせる

 私は、日本が太平洋戦争の開戦を決意するに至った要因の一つとして、軍艦や戦闘機などの兵器すべてを自国で賄えるようになったことが挙げられるのではないかと考えています。

 日本が最後に外国に発注した戦艦は、日露戦争後にイギリスのヴィッカース社に発注した「金剛」です。それ以降は、すべて国産となりました。

 かの有名な零式艦上戦闘機(零戦)も、もちろん国産です。国力に圧倒的な差がある英米との開戦に大きなリスクがあることは当然認識されていましたが、「量を質で補う」との考えの下、血のにじむような努力の末に開発された当時世界最高の性能を持つ零式戦闘機は、開戦前年の1940年に帝国海軍に制式採用されたのでした。

 これもまた当時世界最高の性能を持つ戦艦「大和」は、開戦直後の1941年12月に就役しています(当時の人々の、優秀な兵器の開発に携わる熱意や想いは、吉村昭氏の『零式戦闘機』や『戦艦武蔵』にとてもよく描かれています)。

 明治維新からわずか70年余りでこのような技術を持つにいたった日本人の姿は実に感動的です。しかし、自前で高性能の飛行機や戦艦を作る能力がなかったとすれば、あの戦争を始める決断はなされなかったのかもしれません。

 紛争を助長させない、との厳格な基準の下に、日本が武器を輸出したとして、その輸入国がもしさまざまな事情によって国際秩序を乱すような行動に出ようとした時、日本が輸出を止めると意思表示することは、その国の行動を思いとどまらせることになるでしょう。

 日本は今、同盟国であるアメリカの技術に相当程度依存しています。戦後我が国は一貫して平和国家として歩んできましたし、これからもそうあらねばなりません。しかしアメリカと日本の強い信頼関係の一部として、「武器の技術を共有している」ことが大きな要因であることも、また確かです。

 また、アメリカ等は武器輸出をすることで、結果としてその軍事力の強さをアピールできているという面もあります。

「日本は武器を輸出してなくて立派だね」
とは誰も言ってくれない

 現状、世界の潮流は「武器の共同研究、共同開発、共同生産、相互連携運用」という方向に向かっており、その傾向は冷戦後とくに顕著になりつつあります。

 画期的な新兵器の開発には膨大な予算を必要としますし、開発にも大きなリスクが伴います。各国の財政難もあり、できるだけこれをシェアし、多く生産することによってコストを削減することには大きなメリットがあります。