徳性寺徳性寺(東京都)投稿者:lasourcedevie@1947_2016 [2024年7月21日]

闇があるからこそ、光の下で見えることがあります。人は辛いとき、苦しいとき、何に救いを求めるのでしょうか。“かかりつけ医”ならぬ“かかりつけ僧”がいると、人生が少し豊かになるのかもしれません。(解説/僧侶 江田智昭)

無明を抱える人間を救う仏さまの光

 暗闇だからこそ光に気づく

 今回は、2024年度「お寺の窓口賞」を受賞した浄土宗徳性寺(東京・文京区)の作品からご紹介いたします。講評は以下の通りです。

 昨今、闇バイトでお金のない若者が目先に惑わされ応募し、どん底へ落ちて今の状況に気がつく方が多いようです。仏教においての「無明」とは、人間の苦しみや迷いを生み出す最も根本的な原因です。人間はみな心に「無明」(闇)を抱えており、絶望的な状況に陥ることもありますが、常に仏様(阿弥陀仏)の光は私を照らしているのです。

「闇と光」というテーマでいえば、第131回で「あなたに影があるなら、それは光が当たっている証拠よ。レディー・ガガ」という真宗大谷派四日市別院(大分・宇佐市)の掲示板の言葉を紹介しました。

 仏教で「光」は仏さまの「智慧」や「慈悲」を表します。一般的に「智慧」とは物事をありのままに正しく見ることであり、「慈悲」とは他者を憐れみ、苦しみを和らげることです。

 どんな人間でも、心に少なからず闇(無明)を抱えています。それを見て見ぬふりして、普段の生活を送っていますが、光を通して自分自身が抱える闇を見つめることも重要です。

 中国の僧侶曇鸞(どんらん)が著した『往生論註』の中に「千歳の暗室」という例えが出てきます。これは、たとえ千年間全く光が入ってこなかった部屋があったとしても、ひとたび光が入れば、その光によってたちまち部屋は明るくなり、千年間の闇が瞬く間に破られるというお話です。

 部屋に光が差し込むことによって、それまで見えなかった部屋の中の埃などがくっきり見えることがあります。つまり、光が入ってはじめて、人間はこれまでの闇(煩悩)のありさまに気づかされるのです。

 私たちは大変長い間心の中に「無明」という煩悩の闇を抱えて生きてきました。闇が深ければ深いほどその光はきっと明るく見えるはずです。教え(光)をとおして自身の心の中の煩悩(闇)を見つめて省みることが大切なのです。