苦しくて辛いときの居場所

次は、「まいてら賞」の受賞作を。浄土真宗東本願寺派の長明寺(福岡・川崎町)の作品と講評は以下の通りです。
辛いこともある苦しいこともあるだからお寺がここにある
お寺の社会的存在意義を端的に表現されたメッセージとして、選ばせていただきました。仏教でうたう抜苦与楽の価値を生活者に届けていく存在として、お寺がこれからも末永く続いていきますよう。そして、一人でも多くの生活者が、「まいてら(私のお寺)」と思える良きお寺とのご縁が結ばれていくことを願っております。
お寺に対するイメージは人によってさまざまだと思います。お寺に対して、なんとなく敷居が高くて入りづらいと感じる方も大勢いらっしゃるでしょう。近年、「お寺離れ」という言葉が頻繁に使われるようになりました。多くの方にとって、お寺に用があるのは、法事や葬式のときだけという人がいまの時代には多いのかもしれません。
お寺は本来、先祖の供養や葬儀を行うだけの場所ではありません。地域の中で、さまざまなことに取り組む拠点として、仏教の教えを通して精神的な支えになることはもちろん、地域の人びとをつなぐ役割も果たしてきました。
私たちは日々の生活を送る中で、決して苦しみや悩みから完全に離れることはできません。「かかりつけの医者」という言葉がありますが、「かかりつけの僧侶」がいても良いのではないかと個人的に思います。仏教的な知見からアドバイスを与えてくれる人が近くにいると、生き方が少し変わってくるのではないでしょうか?
自宅と職場や学校ではない身の置き所として、「サードプレイス」の重要性が語られます。お寺もそうした場所の一つです。全国には苦しみに寄り添う活動をしている僧侶がたくさんいます。お寺の掲示板のことばに満足するだけでなく、ぜひお寺にお参りをして、そこで僧侶のお話を聞いてみてください。