それがいいことなのか、よくないことなのか、いろいろな見方があるでしょうが、私は今の「風潮」全体がいいものとは思いません。そうせざるを得なくなってしまった社会状況が「原因」なのかもしれないけれど、さまざまな「自主規制」がそもそもの原因であった社会の環境を悪くしている、とも言えるでしょう。

「昔ながらの近所付き合いがわずらわしいから」とマンションに入居した人であっても、一昔前ならば「いざというときは住民同士で助け合う」ための連絡網や、住民の連絡先くらいはすぐわかったものです。

 けれど、今や管理組合にさえも電話番号を知らせることを嫌がる人も多く、「防犯上の理由」から、玄関にも郵便受けにも表札は出さない。

 10年住んでいるのに隣の部屋の人の名前も知らない、ということは珍しくないでしょう。プライバシーは守られているかもしれないけれど、別のものが失われることもあります。

「プライバシーへの配慮」ゆえに
モザイクだらけになったテレビ

 画面映像についても少し触れたいと思います。

 メディアの「プライバシーへの配慮」はさらに近年過剰になっているように思います。プライバシーに加えて肖像権についても配慮が加わるため、画面がモザイクだらけになっています。

 タレントなどが自分の判断で配偶者や子どもの顔を隠すのはまだわかります。でも、ハートマークなどで顔を隠してまで、家族の写真をネットにあげなくてもいいと想うのですが。

 それよりも変なのはメディアです。タレントなどの学生時代の写真を紹介するとなったら、本人以外の顔はすべてボカす。昔撮ったクラス全体の写真なんか、本人が見たって誰が誰だかわからないのに、40人いれば39人ボカす。

 車のナンバーはもちろんボカします。背景に映り込んだ車のナンバーまでていねいに消している。

 ワイドショーでリポーターが事件の関係者取材に行けば、電信柱の住所はもちろん、住宅の外観もすべてぼかして、結局何を写すのかと思ったら「インターフォンのボタンを押すレポーターの指先だけ」だったことがあります。

 しかも取材結果は「応答はありませんでした」。これ、映像を流す必要があるでしょうか?とにかく現場に行きました、取材に行きました、という証拠を残せばいい、ということなのかもしれません。

 さらに昔のニュース映像を使う場合にも、一般の人の顔にはボカしが入っています。別に悪いことをしているわけでもないのに、「昭和の給食風景」とか「昔のディスコ」などといった映像でも顔は全員ボケボケ。