
50代をすぎたら、「楽しむために生きる」という境地に達していい。そう提唱する漫画家・弘兼憲史氏が、自分1人でも楽しめる極意を得たのは子供時代の釣りだった。人生を楽しむ上で大事なことは、「駅までの道、一度も信号に引っかからなかった」「満開のサザンカ並木に癒された」など、ちょっとしたことを喜ぶこと。弘兼氏が人生を楽しめるようになった、その原点とは。※本稿は、弘兼憲史『楽しまなきゃ損だよ人生は』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。
山の間からゴジラが……
退屈さが“一人遊び”の原点
父は寡黙な人でした。
僕が小学校4年か5年になった頃、そんな父が結核を患いました。
結核の特効薬となるストレプトマイシンの発見は1944年。日本に輸入されて普及し始めたのが1950年といわれているので、まだまだ足りなかったのでしょう。父は「できるだけ栄養を摂って、休養を十分にする」という治療法に頼ることになりました。
結核はそのために「贅沢病」とも呼ばれていたのです。
自宅療養となった父は、時間を持て余したのでしょう。
毎週日曜日になると、スクーターの後ろに僕を乗せて、錦川(岩国川)の上流まで川釣りに出かけるようになりました。
僕は本当は、友達と野球がしたかった。だけど母に「お父さんと一緒に行きなさい」といわれ、渋々ついていったわけです。
宮崎駿さんのアニメ映画の舞台のような、人の手の入っていない原生林を流れる川で、父親と2人、静かに釣り糸を垂れます。
父はほとんど何も話さないし、鯉なんてほとんど釣れやしません。
遊び盛りの僕としては、とてつもなく退屈でした。
そうなるともう、空想で遊ぶしかない。
あのときの経験が、僕の“1人遊び”の原点になったと思います。
「面白くなかったら、自分で面白がるしかない」と考えるようになったきっかけですね。
初めのうちは、遠くの山々を眺めて、
「あの山の間から、ゴジラが出てくるかもしれない」
「ゴジラじゃなくて、ルドンの絵に描かれた“一つ目の巨人”が出てくるぞ」

なんて空想を膨らませていました。
それでも、毎週毎週3時間くらい、あまり景色も変わらない大自然のなかにいるもので、空想だけではもたなくなります。
見つけた石が売れた
変なオヤジの研究所
そのときに目に入ったのが、少しだけ緑がかった大きな岩でした。
その岩がなぜか気になったので、釣りの道具か何かでコチンコチンと叩いてみると、断面は鮮やかな緑色をしていて、白っぽい模様が入っています。
そこに何か、魅力を感じたのです。
その石の破片を持ち帰って、自宅の近くにあった石の研究所のような、変なオヤジが石を売っている石屋のような、ちょっと怪しげなところに持ち込みました。
そうしたら、その石は決して高価ではないものの、装飾や建材にも使われる「蛇紋岩」であることが判明。そのままそのオヤジに預けておいたところ、しばらく経つと5円で売ってくれました。