飯盒(はんごう)を持ち込んで、現地で米も炊きました。

 終戦から十数年しか経っていなかったので、戦争中に使っていた飯盒が各家庭に残されていたんです。

父に基本を教わり
自分で開拓した料理術

 火の熾(おこ)し方、米の炊き方、魚のさばき方……“アウトドアの基本”というより“サバイバルの基本”のようですが、それらはすべて父から教わりました。

 だから僕は、ソロキャンプにも自信がありますよ。

 これをきっかけに、僕は料理好きになるのです。

 肥後守で魚をさばくのも、最初はうまくできなかったけど、毎週やっているうちにだんだんできるようになり、そうなるとどんどん楽しくなってくる。

 釣った魚に串をさして焼くのですが、炭焼きではないので、どうしても焦げたり焼きむらができたりして、なかなか難しい。

 そこで、「よし、だったら揚げてやろう」と思い立ち、ハヤなどの小型の魚をさばいてから、川の水でよく洗って衣をつけ、油を熱した飯盒で天ぷらにして、塩を振って食べてみました。

 うまい!

 錦川のほとり、飯盒で揚げたあの天ぷらが、僕の最初の料理になりました。

書影『楽しまなきゃ損だよ人生は』(宝島社)『楽しまなきゃ損だよ人生は』(宝島社)
弘兼憲史 著

 それからは、釣った魚を持ち帰って、家で料理することが多くなりました。大きめの魚を刺身にしてみたり、煮たり、焼いたり。

 川魚は刺身にすると危険です。

 横川吸虫をはじめとする寄生虫がたくさんいますから。

 また、錦川の上流には河山鉱山があったので、規制なんてほぼなかった当時、今思うとかなりの廃水が流れ出ていたのでは……なんて思いますけど、そんなことはまったく気にせず、アユでもなんでも生でバンバン食べていました。

 それでも、僕はご覧の通りこの歳まで、健康体で暮らしています。