「あなたは臆病だね」と言われたら、誰だって不愉快でしょう。しかし、会社経営やマネジメントにおいては、実はそうした「臆病さ」こそが武器になる――。世界最大級のタイヤメーカーである(株)ブリヂストンのCEOとして14万人を率いた荒川詔四氏は、最新刊『臆病な経営者こそ「最強」である。』(ダイヤモンド社)でそう主張します。実際、荒川氏は、2008年のリーマンショックや2011年の東日本大震災などの未曽有の危機を乗り越え、会社を成長させ続けてきましたが、それは、ご自身が“食うか食われるか”の熾烈な市場競争の中で、「おびえた動物」のように「臆病な目線」を持って感覚を常に研ぎ澄ませ続けてきたからです。「臆病」だからこそ、さまざまなリスクを鋭く察知し、的確な対策を講じることができたのです。本連載では、同書を抜粋しながら、荒川氏の実体験に基づく「目からウロコ」の経営哲学をご紹介してまいります。

経営者の「使命」は何か?
私がブリヂストンに新卒で入社したのは1968年のことです。
あれから半世紀以上の時が流れましたが、この間、「経営」というものも大きく変わったと改めて思います。以下に、おおざっぱではありますが、私の基本的な理解を記しておきたいと思います。
私が社会に出た頃の日本は、戦後、外国資本や投機筋などによる株式買い占めへの防衛策として広がった「株式持ち合い」が、ちょうどピークに達していた時期に当たります。お互いに「カネは出すが、クチは出さない」という安定株主の役割を果たすとともに、取引先として長期安定的な関係を維持する仕組みがあったことで、長期的な視点で経営に取り組むことができていたとよく言われます。
また、当時は、「労使協調路線」が主流でした。
「労使協調路線」とは、労働者と資本家が協力し合うことで企業を成長させ、得られた利益を分け合うことで、労使ともに豊かになるのを目指すことですが、実際に、日本経済が高度経済成長を続けるなか、労働者の賃金も右肩上がりだったわけです。
しかし、一方で、あの頃すでに変化は始まっていました。
1970年代のアメリカで、「株主中心主義」が主流になっていったのです。
ご存じのとおり、「株主中心主義」とは、株主の利益を最大化することを企業経営者の「使命」とする考え方であり、これが世界中を席巻していきました。
日本でも、バブル崩壊後の1990年代の金融危機をきっかけに、金融機関が持ち合い株を放出すると、事業会社もそれに倣うように持ち合い株を放出。その後、外国人の持ち株比率が大幅に上がったことで、「株主中心主義」が根付いていったとされています。
会社は「価値」を中心に動いている
ちょうどその頃に、私は、ブリヂストンの経営中枢に入っていったわけで、「株主中心主義」が広がっていくなかで、経営を実践する世代だったと言えるのでしょう。
そして、私自身は、「株式持ち合い」のもと、多くの日本企業が株主の権利に対する認識が弱かったのは事実だと思うので、株主の権利を重視する「株主中心主義」の普及は、企業経営者の意識を変えるよいきっかけになったとは思っています。
また、日本企業は欧米企業に比べると、ROE・ROAが低かったのも事実で、「モノ言う株主」からの指摘を受けることで緊張感が生まれ、資本効率・資産効率を強く意識する経営へと進化させていく契機になったとも言えるでしょう。
ただ、私にはずっと違和感もありました。
「株主中心」というコンセプトが、経営というものの「本質」からずれているような印象が拭えないからです。
たしかに、株主の出資によって成立するのが株式会社であり、経営者は株主に選任される存在ですから、株主の意向と利益を尊重するのは当然のことです。
しかし、企業というものは、世の中に「価値」を提供するために存在しているはずで、その「価値」を生み出すことに情熱をもつ従業員や、その「価値」を認めてくださるお客様がいるからこそ成り立っていると言えるわけです。
もっと率直に言えば、「株主の利益を最大化」するために全霊を注ぐ従業員もいなければ、「株主の利益を最大化」するために商品・サービスを利用するお客様も一人もいらっしゃいません。これは、ごくごく当たり前のことでしょう。
つまり、株主は企業にとってきわめて重要なステークホルダーではありますが、企業というものは「株主」を中心に動いているわけではなく、あくまでも「価値」を中心に動いていると認識すべきだと思うのです。