
三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第43回は、大学受験における「言い換える力」の重要性について考える。
アイドルをディスるヒドい書き込み
龍山高校東大専科で国語の特別講師として教壇に立つことになった太宰府治は、「国語は科学」と熱弁する。文章を「合理的・論理的に解析」する中で、最も重要なのは「言い換える力」であるというのだ。
TikTokのコメント欄でのやり取りであったと記憶している。あるアイドルのファンに「ケーキの中にジャガイモが入っていたらどう思う?」と投げかけるひどい書き込みがあった。そのアイドルは格が劣っている、と言いたかったのだろう。
だが、そのコメントへ「今はジャガイモの話をしているのではない」という返信が寄せられていた。
書き込みは「一般的なアイドルと、特定のアイドル」という具体的な関係性を、「ある基準において評価されるべきものと、そうでないもの」と抽象化して、再び具体的な関係性である「ケーキとジャガイモ」へと言い換えている。しかし、返信した人物にはその比喩が伝わっていない。
どうにもこのような説明は、かえってやぼのように思える。かえってわかりにくくなるほどの複雑さこそが、本能的に理解することの難しさを表している。
お世辞にも奇麗とは言い難い具体例だが、これほどまでに「言い換える力」の難しさを垣間見た瞬間はめったになく、一連のやり取りに、えも言えぬ感動すら覚えた。
秀逸な言い換えは、頭の片隅に残りやすい。
例えば、芥川龍之介の『侏儒の言葉』に登場する「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦(ばかばか)しい。重大に扱わなければ危険である」という言葉。大平正芳は政治を「明日枯れる花に水をやるようなもの」と表現し、村上春樹は体制と抑圧された人々を「壁と卵」になぞらえた。
借り物の言葉ばかりで恐縮だが、どれ一つとっても記憶に残るものばかりだ。少し毛色は違うが、漫才などでの「例えツッコミ」も似たようなものである。いずれも、具体的な事実を抽象化し、さらに別の形で具体化することで、「言い得て妙」な表現を作っているのだ。
受験勉強で問われる重要スキルとは?

一連の格言と受験勉強は無関係だと思う人がいるかもしれない。だが、私はそうは思わない。マンガ本編でも述べられている通り、受験勉強とは要するに「言い換える力」を問うものだからだ。
国語は言わずもがなであるし、英語も言語間の「言い換え」を基本とする。受験数学は同値関係をたどっていくものがほとんどだ。東大の入試問題でさえ、「式の言い換え」すなわち式変形だけで解けるものもある。
理科や社会も例外ではない。特に日本史や世界史などでは、個々の歴史的事実を「言い換え」て、時代や地域を概観することが求められる。
異なる事実に共通点を見出し、あるいは論理的にその違いを論証していく。この行為が成功した時には、先ほどの格言に出合った時のような心地よさを覚えるのである。
最後に付記しておくと、この「心地よさ」ばかりを求めていくことは危険だ。自分が見出した「抽象的な法則」を立証しうるもののみを「事実」として認定していくことになりかねない。そもそも同じ評価軸で比較することが不適切な場合すらある。
過剰な情報の中で、自分に都合の良いものを取捨選択できる現在だからこそ、量・質ともに適切な「言い換える力」を身につけることが求められている。

