そこで私は、この苗木を箱根にある山小屋に植えることにした。
毎年春が来て箱根の山小屋に出かけると、そのたびに今年はどうなっているか、どのくらい生長しているかと期待していた。だが、そうした私の期待を裏切るように、泰山木は私が箱根を訪れるたびに、前の年に伸びていた枝が雪によって折られていた。
しかしそんな逆境にもめげず、この泰山木は、毎年、折られては伸び、また折られては伸びと、そんなことを繰り返しているうちに、少しずつ生長して、10数年のあいだにとうとう私の背丈と同じくらいになったのである。
私は箱根の地を訪れるたびに、わずかながらでも成長しているこの泰山木に会うのを、まるで我が子の成長を見ている親のように楽しみにしていたものだ。

人間もまた、この泰山木のように折られても折られても、その成長を止めることがないものであろう。
そればかりか、何もなく平穏無事に過ごせる人より、踏まれたり叩かれたりしながら頑張って生きてきた人のほうが、より人生を充実させられると言えるような気がするのである。
そして「苦あれば楽あり」などと型どおりのことを言うつもりはないが、人生には、苦しいことが何度もあるのだということは知っておいてほしい。