そしてこれはここ1、2年で得た個人的な大いなる驚きなのだが、低年齢(高校生未満くらい)のプロゲーマー・準プロゲーマー(それもメジャーっぽくやっていこうとしている子たち)は、おそろしいほど配慮のスキルが発達している。保護者の努力や教育もあるのだろうが、大人顔負けどころか、ときに大人をゆうに凌駕するような繊細な配慮や会話術を断続的に見せるのである(あれは思春期前なのにどうやって可能になっているのだろうか)。

 それが3まわりくらい上のおじさんにとっては驚愕であるとともに、「この子たちが将来のゲーム界を牽引してくれるのなら安泰じゃ……」と妙にうれしかったりする。そしてTarouくんもドンピシャ、めちゃくちゃしっかりしたお子さんである。

 であるから、「学校でしか学べないコミュニケーションがあるよ」ということについて異論はないが、ゲームも結構そのあたりを学ばせてくれるし、むしろゲーム(ネット)が特化して学ばせてくれることもある。

 それはたとえばお互い顔と体が見えない中での優しい言葉の伝え方や気持ちの盛り上げ方であったり、発言が常に不特定多数に向けられていることへの自覚……などである。そして前述の通り、ともに同じ対人コミュニケーションだから、一概にどっちがどっちというほど振り切った話でもない。

ゲームが趣味で一児の父である
筆者としては

 筆者はゲームが趣味の中年であり、わが理想をそのまま実現したTarouくんが羨ましくもありつつ、ぜひ成功してほしいと願いつつ、また一児の父としてTarouくんの将来が心配でありつつ、ご両親の吹っ切れ方に若干危うさを感じつつ……といろいろ混ざって最終的に、実は個人的にはTarouくん一家の決断を「めっちゃいいじゃーん!」というテンションでは応援できていない。

 しかし一家で悩んで手にした進路であり、その熱のこもった決断は必ず何かしらの意味を持つはずだから、少なくともTarouくん一家にはそれでこそいいのだと信じたく思っている。あとはそれを我々周りがどう受け止め、どう解釈していくか、である。

 Tarouくんの「中学通わない宣言」が、そのあたりの社会的な理解を促進する勇気ある投げかけであったことは間違いない。もしゲームやeスポーツが市民権をさらに得ていくなら今後も起こり得るであろう、社会の葛藤のようなトピックでもあったのだった。