というのが、しゃちこばってしまったが、まあ、前提の議論である。そこから、「ただ日本は、学習指導要領含めて中学卒業が大方の人に期待されている学歴で、それで社会が成り立っているので、『中学通わない』ってどうなの?」という意見が生まれてきているわけである。
これが、「2つのフィールドで行われている議論」と紹介したうちのひとつ、「進路・選択の是非」である。
あえて宣言する必要はなかった?
「行かない」道が正当化されると…
ではもうひとつのフィールド「中学に通わないと表明したことの是非」とは何か。これは「Tarouくん(のアカウントを運用するご両親のムーブかもしれない)が、あえて中学に通わないと宣言する必要はなかったのではないか」という指摘が複数確認されているのである。以下である。
・親が高学歴な分、反動で子どもに学歴と関係ない道を選ばせているのでは。それを表明することで、親が子どもを通して自分の正しさを声高に叫んでいるかのような印象を与える。→ここから親自身が不安だからその裏返しでそう強調したくなったのでは……といった精神分析にも発展。
・Tarouくんの少なくない影響力を加味するなら、現在学校に苦しみながら通っている子どもたちを動揺させるような内容の発信はもう少し慎重になった方がよかったのでは。
Tarouくんはユーチューバーとしても活動を続けていくので、平日昼間にゲームをしていたらなんや言われるかもしれず、先手を打ってそう宣言したのかもしれない。決意表明することで自分(たち)の意欲を上げていこうとした狙いもあったかもしれない。
全国の子どもたちが動揺するといったら確かにそうで、フォトナやそのほかのゲームにのめり込んだことのある子どもなら誰だって「学校に行かずにゲームを極めるまでやっていたい」と考えたことがあるはずだ。学校とは「行かなければならないもの」で、だからなんとか行っている。しかし「行かない」という道が正当化されるならぜひそっちに……と感じる子は多かろう。