歩ける、話せる、聞ける、食べられるといったことができているのだから、病気を気にする必要はないのだ。

 つまり、75歳を過ぎたら、病気があるかないかよりも、ディスアビリティ(disability、機能障害)の有無が重要だと考える。

 機能が衰えたとしても、人間らしい生活ができるかできないかが重要なのだ。QOLを維持し、自立した高齢者として生活するために必要な、歩く、食べる、聞く、見る、話すなどの機能が障害されないように予防すること、あるいは、障害された機能を補うことが大切になるだろう。

 ディスアビリティの原因になっている病気があるならば、その病気を治すことも考えるべきだが、その目的は機能が元に戻るか、改善するかであって、病気を治すことが目的になってはならないのだ。

 機能を改善して、支障なく生活することを目的と考えれば、病気を治すだけが手段ではなくなる。

 歩きにくいようなら、杖や手押し車を使えば、ゆっくりでも歩くことはできる。階段や段差が支障になるのであれば、環境をバリアフリーにすることで不自由を減らせるかもしれない。ディスアビリティは、個人の問題だけでなく、環境や社会によって制限されているものも多い。

 病気があるかないかで考えてしまうと、どうしても視野が狭くなる。「病気があっても機能が保てていればいい」と思えば、少し視野が広がるのではないだろうか。ディスアビリティという「より高い視点」でとらえることで、これまでの病気やQOLに対する考えも変わってくるはずだ。

 その結果、細かいことは気にしないという境地にたどり着くことができるだろう。

 どの機能がどのぐらい衰えているかは個人差があるのだから、みな一律に考える必要はない。自分が生活しやすくするためには何が必要か、どうなればいいかを考え、自分に合う方法で対応すればいいのだ。

 機能の衰えを予防できる策があるうちは予防し、衰えてしまった場合は補う方法を考えればいい。