「一病息災」で生きる
老いとの上手な折り合い方
いよいよ75歳を過ぎてホンモノの「高齢者」になったとき、どう発想を転換させ、我が身と向き合うのがいいのか、私自身の経験と医学的な見地を交え、その極意を伝えたい。
75歳以上の高齢者を対象とした研究は少ない。「教科書」となるべき指標がなく、人によって個人差も大きい。そうとらえれば、75歳以上の高齢者では、これまで常識とされてきた「高齢者観」をひとまず忘れ、新たな発想で考えていくことが必要だろう。
そもそも、高齢になれば体の働きが衰えるのは当たり前。病気になるのも当たり前。それを嘆いたり、どうにかしようと抗ったりしても仕方ない。自然な流れに逆らっても無駄に体力を消耗するだけだ。病気があるからといってくよくよ嘆くことはないし、それで自分の人生をあきらめてしまう必要はないのだ。
75歳を超えたら「無病息災」を願うのではなく、発想を転換させて「一病息災」の精神でいくのが賢明だろう。一病息災とは、「1つも病気がなく健康な人より、1つぐらい病気を持つ人のほうが健康に気を遣うのでかえって長生きする」ことを意味する。
病気と仲良く、それが無理でもせめて、悪友と付き合うような気持ちで、「まあ仕方がない。付き合ってやるか」と受け入れるほうが、気持ちも楽になるのではなかろうか。
病気があっても元気に生きる。そのためには、心の持ちようが肝要だ。75歳を境に体が大きく変化するのであれば、心の持ちようも変えるのが道理であろう。大原則として、「おおらかに考える」ことをおすすめしたい。
あっちもこっちもガタが来た…
「心と体の向き合い方」とは?
自分の老いを感じるたびに一喜一憂しない。細かいことにこだわりすぎない。くよくよしない。それが大事ではないだろうか。「あれしちゃダメ」「これは体に悪い」などと細かいことを気にしすぎるのはストレスになるし、ストレスこそが体にはいちばん悪い。
人間だって動物だ。疲れたら休みたくなるし、睡眠が足りなければ眠くなる。元気なら動きたくなるし、体調や気分によって食べたいものも変わる。理屈にこだわるより、自分の体からの声に耳を傾けて、その時にしたいようにする。食べたいものを食べる。それがいちばんだ。