なぜ自己啓発本や
ビジネス書が売れるのか?

【田原さん2】

田原 最近の本や記事を見ていて思うのは、不安を煽(あお)るような内容のものが多い。

「トランプによる関税で日本は大変なことになる!」のように煽るほうが注目が集まって、本や雑誌が売れたり、記事が読まれたりするので、「では関税政策はどうあるべきか」「私たちはどう対策をすべきか」といった、冷静な議論をしようとしません。

三宅 みんな、議論ではなく批判をしたがりますね。SNSでも、とにかくどちらが悪者なのかだけをわかりやすく決めたがる傾向があります。「なぜそうなったか」という原因を追求しない。

 一方で、現代は、正解がないようなことを伝えるのが、難しいとよく思います。例えば、私は「文芸評論」というジャンルでものを書いていますが、批評や評論のジャンルでは、答えのない議論を長い時間かけてするものです。田原さんがずっと続けてこられた「朝まで生テレビ!」もそうですよね。

 大学など学生のうちはそういうことができましたが、社会に出るとみんな時間がなくなり、議論をしている暇もないし、したくないし、聞きたくないという雰囲気があります。

田原 いろんな議論があり、答えがあるものばかりではないと思います。3日でも4日でもかけて、議論すればいい。そこで答えが出なくても、議論を継続すればいい。

【三宅さん2】

三宅 でも現代では、あたかも答えがあるかのようにしゃべる癖を、教育や社会が人々に身につけさせてきたのではと思います。

田原 何事にも正解があるかのように教育されてきたので、「答えがない」ということを理解するのが難しい。さらに時間もないとなると、考えても仕方がないと思ってしまうのではないか、みんな、考えなくなってしまうのではないかと、心配になります。

 まじめな議論は売れないので、メディアは日本の苦境ばかり書き立てる。それに踊らされて議論を放棄する。悪循環です。

三宅 歴史的に見ても、楽観的な本が売れる時代と、悲観的な本が売れる時代があるようです。例えば大正時代は、社会不安を反映したような、暗い、内省的な本が売れていました。

『本の百年史―ベスト・セラーの今昔』(著者:瀬沼茂樹、出版ニュース社)によれば、大正時代の3大ベストセラーは、倉田百三『出家とその弟子』、島田清次郎『地上』、賀川豊彦『死線を越えて』の3冊です。いずれも、生活の貧しさや社会不安への内省をテーマとしたもので、とても暗い内容です。

田原 第2次世界大戦後も、戦争が大失敗だったとわかり、悲観論が好まれるようになりました。1970〜80年代、高度成長期で日本経済が世界のトップとなると、この風潮は一転します。

 これを受けて、アメリカの当時のレーガン大統領は、プラザ合意(※)をはじめ、円高誘導と日本の輸出規制、内需拡大や規制緩和の要求を突きつけるなどして、日本経済をつぶしにかかりました。そして、バブルがはじけ、日本は長い経済低迷期に入っていきました。ここから再びメディアの悲観論が隆盛していきます。
※1985年にニューヨークのプラザホテルで開かれた、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、日本の5カ国の蔵相会議。1980年代初頭のアメリカは、高いインフレ率と貿易赤字に悩まされていた。ドル高を是正し、為替レートの安定化のため、各国が外国為替市場において協調介入(ドルの価値の引き下げ)に乗り出すことを合意した。アメリカはドル安を実現することで輸出を促進し、貿易赤字を縮小することをめざした

三宅 たしかに本のベストセラーを見ても、自己啓発本やビジネス書が売れるようになったのが1990年代以降です。バブル崩壊と新自由主義の影響で、「会社に頼らず、自己責任で、個人ががんばらなければならない」と思わされるようになった結果、そうした本が売れるようになった。

田原 2001年、それまでの田中角栄路線を真っ向から批判した小泉純一郎氏が総理大臣に就任し、自民党の派閥をつぶしにかかった。彼らも新自由主義と呼ばれました。

【三宅さん4】

三宅 それまでの「大企業に入れば安泰だ」「企業に生活を守ってもらえる」という考えが通用しなくなり、急に個人でがんばる必要が出てきたんですね。

田原 社会人は、そんなことはそれまで教えられてこなかったのに、大変なことです。

三宅 企業も雇用もいつどうなるかわからない。仕事もがんばりながら、転職のこともつねに考えなければならなくなった。それで、自己啓発本やビジネス書が売れるようになってきた。

田原 急に「個」が求められ始めた。日本人は「みんなの言うことに同調していれば安心だ」という人が多いので、個を持つこと、主体性を持つことは、非常に難しいものです。主体性を持つためにはどうすればいいのでしょう。