自分の自我を通すか、立身出世するか
森鴎外の文学と影響

田原 『のらくろ』という漫画をよく読んでいましたよ。黒い犬が主人公で、兵役に取られるのですが、軍隊での生活が、時にはコミカルに、時には淡々と、描かれます。
※昭和初期の漫画を代表する漫画家、田河水泡(たがわ・すいほう)の代表作。昔見た、真っ黒な犬がその後どうなっているのかを考えたことがきっかけに生まれたという。設定が軍隊で、自らの徴兵時代の経験を反映。階級が上がるたびにタイトルが変わっていくことも特徴的で、社会現象となるほどの人気を博す。田河は落語作家としても活躍した
あとは、「翼賛一家(よくさんいっか)」が印象に残っています。大政翼賛会(たいせいよくさんかい)(※1)のもとで繰り広げられたメディアミックスの下、「翼賛一家」というキャラクターを使った漫画や本が次々と生まれました(※2)。雑誌に連載していた4コマ漫画『翼賛一家大和(やまと)さん』は、『サザエさん』の作者・長谷川町子さんも作画に参加していましたよ。
※1 1940年10月、近衛文麿を中心とする新体制運動推進のために創立された組織。総裁には総理大臣が当たり、道府県支部長は知事が兼任するなど官製的な色彩が濃く、翼賛選挙に活動したのをはじめ、産業報国会・大日本婦人会・隣組などを傘下に収めて国民生活のすべてにわたって統制した(三省堂『大辞林 第三版』より)
※2 戦時下に大政翼賛会が主導して生み出したキャラクター「翼賛一家」は、複数の作者によって、多くの新聞や雑誌に漫画が連載された。また、小説、レコード、ラジオドラマにも展開し、国策メディアミックスとして大衆の内面の動員に活用された
三宅 戦争が終わると、当時の書店に並ぶ本も変化しましたか?
田原 教師の言葉と同じように、ガラリと変わりましたよ。戦争なんて間違いだった、と。あと、小説では森鴎外(1862〜1922)がとても好きでしたね。大学の卒業論文も森鴎外について書きました。
三宅 森鴎外のどこに惹かれたのですか?
田原 森鴎外は、軍医、つまり体制側の医師でありながら、同時に、自由に発言する作家でもありました。その生き方が斬新と思ったのです。作家として容赦なく体制批判をしながら、自分は体制の中にい続けた。これは稀有なことです。
三宅 森鴎外は質実剛健な文体のイメージがありますが、一方で、ガーデニングが好きだったり、繊細な一面もあったといいますよね。鴎外の娘の随筆にも、父としての鴎外がよく描かれています。
同席していた田原氏の三女 私たちが幼いころ、母が闘病中だったので、田原が休日のときはよく食事を作ってくれていました。「鴎外も家のことをよくやっていたみたいだよ」と言っていたのを覚えています。

三宅 田原さんの世代で、家のこともされているのは、当時として珍しかったのではないですか。
田原 今も朝食は自分で作っています。(※)
※参考:YouTube「田原総一朗 伝説の朝食 2025年正月編」
三宅 鴎外の小説『舞姫(まいひめ)』(※)は、自分の欲求を通してエリスと暮らすか、それとも、立身出世を選んで帰国するか、という選択を迫られる物語ですね。
※1890年「国民之友」に発表。若き官吏太田豊太郎とドイツの踊り子エリスとの悲恋を通して、日本の現実の厚い壁に屈する近代知識人の苦悩を描く(三省堂『大辞林 第三版』より)
田原 鴎外自体は、最後まで作家として言いたいことを言うという意味では自我も通し、かつ、立身出世も捨てませんでした。自分の自我を通すか、社会のほうを向いて立身出世するかというテーマは、三宅さんの著書でも書かれていますね。
三宅 著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の第1章に書いた主題にも通じる話だと思います。
全身全霊で働くのをやめよう
田原総一朗は「元祖半身」?
田原 本の中で、「全身全霊で働くことをやめよう」「半身(はんみ)でいい」と提案されていますね。新自由主義(※)によって、全身全霊で働きたくなるように駆り立てられてしまっている。自身を戦わせ続け、結果、疲労する。だから働きながら本が読めなくなるんだと。
※政府の積極的な民間介入に反対し、資本主義下の自由競争秩序を重んじる立場および考え方。自由主義的社会では、国家による規制が緩和され、福祉・公共サービスは縮小、企業間の競争が激しくなる

僕はこの主張に衝撃を受けたんです。僕自身はずっと、「全身全霊で働くことは素晴らしい」「全身全霊で働ける仕事を見つけることこそが教育の目的だ」、そう思ってきたからです。
三宅 高度経済成長期はそれでよかったのかもしれません。その時代は「専業主婦」というあり方が一般的だったので、家のことは母親や妻がしてくれ、男性は仕事に全身全霊で打ち込むことができました。
でも、共働きが一般的になると、家事も育児も仕事も、男性・女性区別なく全部する必要がある。時代は変わっているのに、会社は依然として高度成長期と同じ「全身全霊」の働き方を求める。それでは、子育てする時間はもちろん、本を読む時間がないのも当然です。
共働きが当たり前になったのであれば、その分、ひとりひとりが会社に充てる時間やエネルギーを減らすというのは、自然なことだと思います。
田原 「全身全霊」を言われてきた僕の世代にとって、とても新鮮な考えです。ただ、「おもしろいかどうか」という点では、「半身」で何かをやるというのはつまらなくないでしょうか。何かに一生懸命取り組むほうが、おもしろいと思うのですが、三宅さんはどう思いますか。
三宅 「一生懸命に半身をやる」というのはどうでしょうか。たしかに全身全霊のほうが楽しいですし、集中して取り組みやすい一面があるのは、真実だと思います。もちろん、何かに全身全霊を傾けたほうがいいタイミングは、人生のある時期にやってきます。でもそれはあくまで一時期でいいはずです。

「半身を認めない、中途半端だ」という考えが社会を覆っている。それでは当然、共働きになれば子育てをする時間もなくなってしまう。現状、日本は人口が減少してきています。
「全身全霊」というのは、誰かのサポートがあってこそ、可能なことなんです。現代において、誰かに全面的にサポートしてもらえる人は、よほど恵まれている人です。
一人一人が仕事をして、家事をこなして、趣味を楽しむのが当たり前の社会であれば、多くの人は「半身」のほうが生きやすいのではないでしょうか。
全身全霊で打ち込むのではなく、半身で取り組むことで、心身の健康を損なう人も減り、子育ての時間も増え、人口も増え、労働人口も確保できる。結果、日本経済にとっても大きなプラスになるのではないかと思うのです。
田原 三宅さんは、多くの本を書いていますが、本を書く仕事は「全身全霊」ではないでしょうか。
三宅 本を読むことが好きで、一人で本を読んだり、文を書いたりしている時間が、一番楽しいんです。ですので、こう言うと語弊があるかもしれませんが、本を書くのは趣味に近いかもしれません(笑)。
田原 そういうことですか。
三宅 田原さんも先ほど、仕事が趣味とおっしゃっていましたね。会社で出世を選ばずに独立した。国会議員や組織の重役になることへの誘いも断り続けた。もしかしたら、組織に対して「半身」だったのかもしれませんね。
田原 たしかに、組織に対しては「全身全霊」ではなかったかもしれません。ただ、フリーランスの仕事は「全身全霊」で取り組んでいるので、そこは「半身」ではないと思います。

三宅 テレビに出演し、新聞に論評を書いて、本を出版して、YouTubeの動画も配信して、本や新聞も読んで、そして家庭のこともなさって……、多くの場所で活動されています。それはつまるところ、「半身」と言ってもよいのではないでしょうか。
田原 なるほど、そういう意味では、僕は「戦後世代の元祖半身」かもしれないですね(笑)。指摘されて初めて気づきました。
三宅 日本では、「ひとつのことだけ」をとことんやる「職人気質」が美徳として尊ばれてきました。それはそれでもちろん素晴らしいことです。でも、それに対し、同時並行でいろいろなことをやっていると「中途半端」と言われてしまうことに違和感がある。
仕事も家事も趣味も、それぞれ「半身」でやっている人が、もっと増えてもいいのではないか。そうすれば、もしかしたら世の中はもっと良くなるんじゃないか。そう思って、「『中途半端』と言うのをやめよう」と、いろいろなところで発信しているんです。