ビジネス環境や働き方が大きく変化する中、働く現場では「人と組織」をめぐる課題が複雑化している。近年では、個人の学習・変化を促す「人材開発」とともに、「組織開発」というアプローチが話題になっており、『いちばんやさしい「組織開発」のはじめ方』(中村和彦監修・解説、早瀬信、高橋妙子、瀬山暁夫著)のような入門書も刊行された。今回は、こうした「人と組織のあいだに渦巻くモヤモヤ」に正面から切り込んだ話題作『冒険する組織のつくりかた 「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法』の著者であり、気鋭の組織づくりコンサルファームMIMIGURI代表でもある安斎勇樹さんに「“成果さえ出せば何をしても許される”という空気が組織をむしばむ構造」について話を伺った。(企画:ダイヤモンド社書籍編集局)

職場にいる「実績はあるけど問題行動ばかりの社員」を放置し続けた組織の末路Photo: Adobe Stock

「成果が出ていれば何をしても許される」のか?

――ハラスメントなどの問題行動があっても、「あの人は実績があるから……」と放置されてしまう――。そんな光景が見られる職場では、組織はどう変質していくのでしょうか?

安斎勇樹(以下、安斎)「問題行動をしがちだけれど、圧倒的な実績がある」という人にどう向き合うかというのは、組織づくりにおいてもけっこう難しいテーマですね。

 ただし、「あの人はかなり周りに迷惑をかけているけど、結果を出してるから仕方ないか…」と黙認する状態が続くと、その組織の文化はどんどん「成果主義的・利己主義的」になっていくのは間違いありません。

成果さえ出していれば、誰かに迷惑をかけてもいい」「チームへの貢献よりも、個人の実績が優先される」――そうした価値基準が、明文化されないまま組織に染み付いていき、“文化”として定着してしまうんです。

 そうなると、一人の問題児を許容するだけでは済まなくなります。最初は倫理的に振る舞っていた人たちも、「あいつが許されているんだから、自分もいいでしょ」と利己的な行動をとるようになるからです。

 そうやって、「誰も助け合わない、脆弱な組織」が出来上がっていきます。

創造的逸脱と“暴力の免罪符”は違う

安斎 もちろん、だからといってすべての“逸脱”を排除すべきという話ではありません。

 創造的な個人――空気が読めない、既存の価値観からはみ出すような人たちこそが、新しい価値を生み出すこともあるからです。

 たとえば、組織に黙って勝手に始めた“闇研究”が、結果的に会社のイノベーションにつながるような例があります。これは経営学でも知られた「創造的逸脱」という概念です。

 だから、問題行動・逸脱行動を抑止するばかりだと、結局みんなが萎縮してしまい、何の「冒険」もない組織になってしまう。それではイノベーションは生まれません。

 とはいえ、創造的でありさえすればどんな逸脱も許される、というわけではありません

 他者を道具のように扱ったり、傷つけたりしてはいけない。「面白ければ何でもアリ」は、創造性ではなくただの暴力になってしまいます。

 だからこそ、「はみ出すこと」と「人を傷つけること」は、絶対に混同してはならないんです。

組織が許容すべき逸脱とは何か」「その線引きをどう設計するか」――ここに、創造性と倫理のバランスが問われていると思います。